テレビで水俣病に苦しみ、また、国の認定が受けられずに苦しむ女性が

「この辛さは、なってみないと分からない」と言った。

 

ある種の拒絶にも聞こえてしまうかもしれないが、そうではないと思う。

 

苦しみというのは、誰かと比べて勝っているとか、そういうことではない。本当に、ただ、ただ、辛いのだ。。。これは憶測でしかないのかもしれないが。

 

 

病の苦しみ、周囲から受ける苦しみ、だのに認定を受けられないという苦しみ。

この苦しみは、病故ではないと言われる。

では、なぜ、このように苦しいのだろう?

病でないのならば、この苦しみから逃れられてもいいではないか?

この苦しみから解き放たれるなら、病だと認定などされなくてもかまわないというのに。

だが、しかし、この逃げどころのない苦しみを、それは苦しみではないと、宣言する人たちがいる。

この世には、まことの鬼が棲んでいる。

病という鬼。

人と言う鬼。

 

 

「あなたの苦しみ、分かるよ!」という人もいるかもしれない。

「いやいや、あなたにこの辛さが分かるはずがない」

と、反論も出るかもしれない。

「世の中にはもっと苦しい人がいるんだから、頑張ろうよ」

などと、方向性がめちゃくちゃな励ましをする人もいるかもしれない。

「ああ、分かりませんよ。私はあなたじゃないんだから。そんな風に言われたら、何にも言えないよ。そうやって、人を拒絶するようなことを言って、何がしたいの?」

なんて、、切れ気味になるひともいるかもしれない。

 

 

ほんとうに、憶測でしかない話だ。

その人の苦しみを分かり得ないという苦しみも、私は得ている。

しかし、それは、ほんの軽い。軽い苦しみにすぎないのだ。