先日。春めいてきた……などと書いたせいだろうか、昨日は雪が降った。
いや、わしごときが天下の天気を左右できるはずもない。

世の中というのは、どうも天気予報が好きだと思う。
(世の中って、どこん中だ?とかいう疑問を投げつけるのは、とりあえず置いておこう)
天気について、皆、よく知っている。

午後雨が降るとか、明日は暑くなるとか。
朝、雪がつもっているだろうとか。

その程度だが、最新の情報をどんどん取り入れないと、発することのできない言葉である。
天気の話はあいさつのようなものだ。と、言うハナシもあるが、その挨拶するにも情報が必要となると、これは高度な挨拶だと言わざるを得ない。
みな、いつ、どこでその情報を得ているのか、私には不思議だ。
テレビや、ネットということだろうが、それを見て、記憶するという一連の作業を多くの人がこなしているという驚くべき現実が浮かび上がってくる。

朝のあわただしいとき、幾分ぼんやりとした頭にそれをインプットできるスキル。
陰鬱なニュースの合間に挿入される天気予報を、(日本中、或いは世界中の天気の中から)必要な分だけ素早くキャッチできるスキル。

それに対して、提供する側も負けていない。
あの手この手で、お天気を判り易く解説しよう、より多くの情報を放ち、また注目を集めようと努力を怠らない。
各地にお天気カメラを据え、あるいは雨風にさらされる現場へと赴き、その天気のビジュアル体感までも伝えようとする。

お天気を伝える人の多くが、可愛らしいおねえさんなのも、天気への関心を高めている要因のひとつだろう。

「天気を知るなら、ぜひわが社で!!」と、各社しのぎをけずっている。

あのお姉さんシステムは、衆目を集めることにおいては、なかなか効果的だと言える。

「あったかくして出かけてくださいね」

とか、言われればそんな気にもなろうというものだ。
ただ、各局が同じような年齢の似たようなタイプをそろえる(もちろん、それぞれに個別性はあるのだろうが)現状では、ただカワイイおねえさんだけでは、抜きんでるのは難しい。
ではオジサンやお兄さんを投入すればいいかと思いきや、お姉さんに勝る効果を生むのは難しそうだ。
おねえさんのバリエーションとして、姉御肌なお姐さんというのはどうだろう?
けっこう、いけるかもしれない。などと、思ってしまうのは、私の嗜好ではなく、予感だ。



農業や漁業、生業に直結するものとして必要とされた天気予報。
外出の備えとしての天気予報。
天気を予想することは、身を守るために不可欠なものであっただろう。
今のような気象観測ができない時代から、人々はいろいろな方法で天気を推し測ってきたのだ。

それが、からは抜け落ちてしまっている。
危機管理能力が低いのだろうと思われる。
それでも、それほど困らず生きていける。いい時代だということかもしれないし、恐るべき状況なのかもしれない。

そんな私も少しは、天気に関心を持つようになってきた。
だが、だいたいが実際の空模様を眺めて、気温を肌でのみ感じて、

「お、今日はこの程度の服装で出かけた方がいいな」

と、予想する程度でしかない。

今は、自分の目に映る範囲のことぐらいしか、必要ないからからかもしれない。