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自分が感じた事をみなさんと共有したい。みんなが頑張ってるから、俺も頑張れる。その頑張っている姿をみなさんと分かち合いたい。

父子家庭

高校の時、何の相談もなく、親の相談によって離婚という言葉を耳にした。
何がなんだか、わからなかった。
部活の事がいっぱいで、わからなかった。


振り返ると、元々、単身赴任だったから、そんなに変わらないものだと思ってた。
自分の人生の中で、家族の思い出は嫌な思い出の方が多い。
海で足を切ったり、車にぶつけてないのに、ぶつけたみたいにされ、
だから、家族でどこかに行く事が迷惑だったから、いつも外で遊んでいた。
母さんには迷惑かけてたと思う。本当にごめん。
小学5年生になった時に、転校することになった時、離れたくなかった。
友達と取るときが居心地良くて、本当に友達が大好きだった。
みんな、出会ってくれて、ありがとうって言いたかった。
転校したら、居場所がなくなった。

流行には疎かった。

電車で通学できる距離だから、通学したかった。
でも、自分は男だから平気だって家では強がってた。


中学生になると、テニスというものに出会った。母がやりたかった事をしたいと思った、他にも理由はあるけど、たぶん、それでテニスを選んだ。
一つの事をするのは楽しく、テニスで友達と遊ぶのはたのしかった。

でも、高校になる前に、強くなるため、無茶な練習をした。
その練習のおかげで、打つ感覚がなくなった。
酷く落ちこんだ。
自分の居場所がなくなるのが怖かった。

大好きな物が一瞬で嫌いな物になった。部活にいるだけで、辛かった。
中学生の時に、テニスで傲慢だったから、神様が罰を与えたんだと思う。
でも、大好きな物を手放したくなかったから、必死でしがみついた。
辛かった。

そして、離婚

これが決定打だった。

思う存分に部活に集中することが出来なかった。だから、逃げた。
アルバイトの道

もちろん、最後の大会は出れず、友達と後輩の応援。

自分と他の学生に距離を置いたのか
わからない。
けど、アルバイトをした。
母は気を遣ってくれた。でも、父親は何もしてくれなかった。
お金を払ってくれるだけ。
これがでも、救いだ。


当時は母親の方につきたかったから、自分は男だから、父親についた。自分は、大学に行くべきだからである。
高校の先生には迷惑をかけた。
友達にも。

居場所がなく、好きな事が嫌いになったから、何をするにも嫌だった。
だから、働いた。

中身がない男だから、つまらなかったと思う。
その結果、大学で言われるようになった。

でも、これが俺のバックグランドだし、生き方。
だから、何を言われても、自分を貫いて生きてた。
たまに、自分が真面目で損をすることを感じる。


でも、これが俺。
だから、これからも自分を貫いて生きてく。
険しい道だとしても、人生は一度きりだから、いいと思う。
現実からは逃げない。
最後には、幸せを掴んでやる。



なんか、感情で打って何を打ってるか、わからないけど、
少しは気が晴れた気がする。