昨年、2020年8月1日に、

市政50周年を迎えた、沖縄県北部の中心地「名護市」

1970年(名護町・羽地村・屋部村・屋我地村・ク志村が合併して名護市となった)

海あり、山あり、川あり、自然あり・・・

美味しいもんもいっぱいある街。

美味しい泡盛酒造も色々あり、オリオンビール発祥の地、

ソーキそばの発祥の地でもあります。

早々、ソーキそばと命名したのは、

当時、校長だった私の父、牧志朝三郎です。

ソーキそばを始めに出したのは、

名護市(旧羽地村)の我部祖河食堂です。

 

風光明媚なうえ、沖縄らしいところ一杯残っているところです。

皆さん、是非、沖縄県名護市を訪れてくださいね.

 

7月5日には、我が家で、

名護の日を祝うランチ会(小人数)でやる予定です。

 

小学校からの同級生が、

平成14年産の名護のお酒を送ってくれました。

さて、今日は、名護市が名護町だった頃の、

名護高校の生徒の目線から、振り返ってみましょう。

 

1961年(今から60年前に、沖縄を訪れた、

慶應義塾大学沖縄親善訪問団の報告本、

「うるまの国」からの引用です。

 

……当時の名護高校1年生・宮里・金城・友利さん・・・・

私たちの街「名護町」

 人口人口18、160人、面積410平方mの、小さな、本当に小さな街である。

しかし、その歴史を学ぶとき、

古代の人々のいぶきがあらゆるところに感じられ、

生気が湧いてくる。

そして、この小さな街、名護町を誇りに思っている。・・略

・・・・・・・

1960年11月、九州各県陸上競技大会が、名護町営グランドで行われ、

沖縄全島の注目を浴びた。

町は、「紅葉」や灯篭で飾られ、日本からの観光団や沖縄各地からの人々で、

大会一月前ほどから賑わった。

当日は、4万余の大観衆が立ち上がると共に、

名護町営グランドに日の丸の国旗が、

晴れ上がった秋空高くハタハタと翻った時、「君が代」の国家斉唱と共に、

人々の目からは感激の涙が溢れ出た。

沖縄に九州大会を持ってきたことによって、私たち沖縄人は、日本を身近に感じ。明るい希望に燃え上がった。・・・・・略・・・

 沖縄には元々、一中、二中、三中などの学校があったが、

その中の三中が現在の名護高校のゆえんである。

開校当時(1946年開校・沖縄戦勃発は1945年)、

わずか、115名の生徒が、

今日(1961年)には、1010名の生徒が学んでいる。

・・・・・・・・略・・//

夕焼けを見ると、ついつい、歌いたくなる・・・♬この歌

・・・♬♬浦浦の深さ、名護浦の深さよ・・・

名護のミヤラビの・・・・・ジュンとよ、想い深さ・・

 

我が故郷よ、幸あれ!益々の発展を・・・・