8月28日、猛暑の中、

川崎と沖縄を結ぶ友好のシンボル

「石敢當建立50周年記念の集い」へ参加した。

 

 

全国を回って、沖縄の

歴史や文化・平和について講演活動をしている私。

石敢當については、必ず触れている。

石敢當とは、

魔よけ、幸せをもたらす意味がるのです。シーサーは多くの人に知られているが・・・

 

詳細は、さておき、

1970年、沖縄に最大級の台風が押し寄せ、特に宮古島では、約50人が命を失い、甚大なる被害を受けたのでした。

その以前、1959年に、川埼市民が首里城跡地(当時の琉球大学)に、川埼出身の佐藤惣之助が詠んだ詩碑の建立が贈呈された4か月後のことだったそうです。

そのことを知った、川崎に住む沖縄県人(特に宮古島出身の方々が、声を出し、市議会も動き出し、多くの方々が、募金活動を始めたのです。その頃の金額で約355万円(50年前ですから、今のお金に還元すると何千万円にも相当)

当時の川崎は、日本の工業地帯。多くの若者たちが集団就職をしたり、職を求めて、移住したりしていました。そのころの、賃金は1ケ月5千円だったそうです。その中から、故郷への見舞金をおくったのです。

そのお礼として、宮古島市から、石敢當5きが、川崎市に送られたそうです。

川崎駅東口前には、そのとき贈られた大きな石敢當が建立されています。

式典は、(一㈶)川埼沖縄県人会主催で行われた。

川崎県人会会長、川崎市長や県議会、沖縄県東京事務所長・叔父さまが貢献に力を尽くしたと関東沖縄経営者協会長や、宮古島郷友会の方々や多くの市民が参加し、50周年の意義を力強くお話なされ、今後の絆を強調されていました。

 

通り過ぎてしまいがちな場所に、改めて、深い、思いを抱きました。

川崎市でもよく料理教室や講演をしている私にとって、新たな視点から、

また、触れていきたいと思います。

 

まだまだ、川崎市と沖縄のご縁が、あります。

今回、この企画をしたのは、

映画監督「喜屋武靖「」事務所でした。

首里城が復元された折り(昨年の火事の前のこと)、佐藤惣之助の詩碑が、

那覇の公園に移され、それを、首里城へ再移設したいと佐藤惣之助の人生を紐解き、

ドキュメント映画にした方です。

熱い想いが、今回の石敢當記念行事になったのですね。

改めて、人の心粋の原点に触れた気がしました。

今度、改めて、佐藤惣之助が詠んだ首里城のことなど…触れてみたいと思います。