今回は、今、僕が考えているカフェ運営の構想について、書いてみようと思う。

僕には、やりたいことがいろいろある。

・対等に学び合える場所をつくること。
・不登校の子どもが育つための場所をつくること。
・学歴とは異なる就職ルートをつくること。
・誰でも安心して働ける場所をつくること。
・誰もが安心できる場所をつくること。

これらすべてが、「すべての人にとってしんどくない社会の実現」という理念につながっている。

あえて、この中に、「学校をすべての人にとってしんどくない場所にすること」を入れなかったのは、今回の記事では、学校関係以外のことを書きたいと思ったからだ。

学校に関して言えば、「学校をすべての人にとってしんどくない場所にすること」という理念を持って教員をすることが、僕にとってのやりたいことだ。
これに関しては、今、教員として自分にできている部分と、まだまだできていない部分がある。
いずれは、管理職になって、学校単位でこの理念を実現したいと思っている。

けれども、一方で、それでいいのかという思いも、自分の中にはある。
学校のことに専心してしまうと、最初に書いたやりたいことは、できなくなってしまう可能性が大きい。
少なくとも、小学校教員を続けていき、管理職になって退職するまで学校で働き続けたら、「学歴とは異なる就職ルートをつくること」を実現するためにできることは、とても小さくなるだろう。

もちろん、教員の仕事を退職した後に、活動に着手することもできるだろうし、教員の仕事を続けながら、同時進行で活動を進めるということだってできるかもしれない。
そう考えれば、可能性はないわけではないが、できることの量で考えれば、教員をずっと続けていけば、学校以外の関心事に関してできることは、相対的に小さくなる。

これには、教員には副業規制があるという制約もあり、教員を続けていくと、確実にできることの幅は狭くなるように思う。

ただ、僕にとっては、「すべての人にとってしんどくない社会の実現」のための最も実効的な手段の一つとして、「学校をすべての人にとってしんどくない場所にすること」があるため、簡単に教員をすることを手放そうとは思わない。
そもそも、自らの資本を持たず、資本の論理に安易に乗っかることも良しとしないスタンスを貫こうとする自分にとっては、教員として受け取ることのできる給与を手放すことは難しいという現実的な事情もある。

けれども、やはり、学校に止まっていては、「不登校の子どもが育つための場所をつくること」は、そもそも原理的にできないし(もちろん、学校を不登校の子が育つための場所に変えるための努力はできるけれども、それでも子どもが不登校を選んだなら、学校教員としてその子が育つための場所をつくることは難しい。)、先に書いた通り「学歴とは異なる就職ルートをつくること」が難しいだけでなく、「誰でも安心して働ける場所をつくること」や「誰もが安心できる場所をつくること」という目的に近づくことも難しくなる。

そう思うと、管理職は、一旦諦めることで(もちろん、あとでやっぱり目指すという選択をしてもいいのだけれども。)、以下のやりたいことを全部実現しようとする方向に舵を切るのも悪くないと感じられてくるのだ。

・対等に学び合える場所をつくること。
・不登校の子どもが育つための場所をつくること。
・学歴とは異なる就職ルートをつくること。
・誰でも安心して働ける場所をつくること。
・誰もが安心できる場所をつくること。

そして、これを一挙に実現する可能性を秘めているのが、カフェ運営の構想なのだ。

どういうことか、一つずつ書いていこう。

まず、カフェの店舗を持つことで、いつでも、「対等に学び合える場所」をオフラインで開き放題になる。

これは、僕にとっては、とても大きい。

自分が運営する場所があれば、わざわざ予約をとったりお金を払ったりせずに、学習会やイベントを開催できる。

それは、とても大きな強みだと思うのだ。

また、カフェが、不登校の子どもが安心して来ることができる場所になれば、そこでできることもたくさん出てくるのではないかと思っている。

カフェと言っても、僕のイメージしているのは、普通の喫茶店ではない。

もっと、集まった人が安心していろんなことができる場所をイメージしている。

そんな場所にいろんな面白い人が集まってこれば、その環境自体がとても貴重な教育資源になるだろうし、あるいは、日中の時間で静かに過ごせる場所をつくって、ゆっくり一緒に休んだり、ちょっと挑戦できそうだったら一緒に何かを学んだりするようなことができるようにしてもいいと思っている。

とにかく、世間で当たり前とされている「常識」のルートとは異なる学びの場を生成したいと、そんなことを思っている。

これは、「誰もが安心できる場所をつくる」ということともつながっている。

僕は、不登校の子が安心できる場所をつくれればいいと思っているし、それだけでなく、今生きている社会の中に安心できる場所がないと感じている人にとって安心できる場所をつくれたらいいなと思っている。

当然、そういうことをしようとすると、誰かにとっての安心できることが、他の誰かにとっての脅威に感じられるというような権利の調整問題は出てくるだろうと思う。

だから、誰もが安心できる場所をつくるというのが簡単ではないということは分かっている。

けれども、少なくとも、既存の学校や社会の中では安心していられない人たちに、ここなら安心していられると思ってもらえる場所をつくり、その人たちの安心を守り続けるということをしたいと、そんなことを思っている。

ただ、こういうことをしようとしたときに、決まって問題としてあがってくるのが、安心できる場所に来てくれた人の就職ルートをどうするかという問題だ。

結局、安心していられる場所があっても、働くことができなければ生きていけないという問題がある。

だから、僕は、「学歴とは異なる就職ルートをつくること」や「誰でも安心して働ける場所をつくること」をしたいと思っている。

こういう問題と突き当たったときに、いつも、僕は、「じゃあ自分がつくればいい」という発想になる。

それは、システムをつくることよりは格段に非効率的で、広がりも小さいのだけれども、自分が責任を負う範囲の中で直接的に責任を果たすことができるという点で、僕にとっては都合が良いのだ。

何か社会的に新しいルートを切り開くことにはならないかもしれないけれども、カフェで従業員の雇用を行い、その従業員の方に安心して働いてもらうことができれば、それは、とても小さな限られた達成にはなるかもしれないけれども、「学歴とは異なる就職ルートをつくること」や「誰でも安心して働ける場所をつくること」を達成することができると思うのだ。

カフェの運営上、最初は、一人も雇用することができないかもしれない。

けれども、一人、他の場所では安心して働くことが難しい人を雇用することができれば、それで、確実に、一人分の安心して働ける場所をつくったことになり、その採用において学歴を問わなければ、学歴とは異なる就職ルートをつくったことになる。

もちろん、カフェが繁盛して、二人、三人と雇用することができるようになれば、より多くの人の安心して働ける場所をつくることになる。

こうして「学歴とは異なる就職ルートをつくること」や「誰でも安心して働ける場所をつくること」が実現する。


こんなことを考えている。

まだまだ構想段階で、具体的なことは全然定まっていない。

けれども、真剣に考えて、少しずつ、構想を具体的にしていきたいと思っている。

年単位で進めていくプロジェクトになると思うけれども、一歩一歩、着実に歩みを進めていきたい。