おじゃれ11万人。
年間11万人以上の人に来ていただこう、と言う
八丈島観光誘致の目標人数です。
平成21年の来島者数は約11万人。
その内、観光客数の推定は約8万人でした。
以前は多くの観光客が八丈島に押し寄せて、島の景気も
観光産業も良かった時期がありましたが、現在は徐々に下り坂です。
観光客が一番多かったのが昭和48年頃。小笠原や沖縄が返還された
直後ですが、当時は観光客も含め、年間20万人以上が八丈島に来ました。
東洋のハワイと言われた当時の八丈島。
ホテル前や観光地には、大型バスが列を連ねてやって来た
そうです。ハネムーンと言えば八丈島、とも言われていた時代でした。
昭和40年代に使われた八丈島観光用の地図
観光全盛期の当時は、羽田から八丈島間を、名古屋からも含め
1日7便の飛行機が飛んでました。現在は1日3便。
以前は、たくさんの民宿やペンションの他に、4軒の大型ホテルも
ありましたが、2軒は潰れました。今は薄気味悪い建物だけが残ってます。
国際ホテル :大賀郷地区、大潟浦の海岸線にある廃ホテル
これだけの建物を一度建ててしまうと、、離島では、、解体をしても
廃材の処理ができないので、永遠と建ったまま、残ったままになってます。
底土キャンプ場近くにある廃ホテルオリエンタルリゾート
未だに住み込みの管理人がいます。中に入った事がありますが、
昭和の豪華リゾートホテルの残骸でした。
当時は映画の撮影に使われた事もあるそうですが、
今ではその面影はまったく無く、広い敷地と建物だけが残ってます。
東洋のハワイと呼ばれたその後、、大きな変化はなく時間が止まったままの
八丈島ですが、少しづつテレビで取り上げられるようになりました。
八丈島が沖縄の離島と思ってる人もいますが、
それはそれとして、、変わらぬ八丈島を楽しむ人もたくさんいます。