東洋のハワイ・・・の黄金時代 | 住み地:八丈島編

住み地:八丈島編

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住んでる場所 "住み地" の観光、暮らし、住み心地を紹介するブログ。

その第一弾が伊豆諸島の八丈島。


第二弾がタイを中心に各地を紹介するブログ、滞在地:"Bangkok"バンコク編 http://ameblo.jp/astoriany11103/

おじゃれ11万人


年間11万人以上の人に来ていただこう、と言う

八丈島観光誘致の目標人数です。


平成21年の来島者数は約11万人。

その内、観光客数の推定は約8万人でした。



以前は多くの観光客が八丈島に押し寄せて、島の景気も

観光産業も良かった時期がありましたが、現在は徐々に下り坂です。


観光客が一番多かったのが昭和48年頃。小笠原や沖縄が返還された

直後ですが、当時は観光客も含め、年間20万人以上が八丈島に来ました。



東洋のハワイと言われた当時の八丈島。


ホテル前や観光地には、大型バスが列を連ねてやって来た

そうです。ハネムーンと言えば八丈島、とも言われていた時代でした。

住み地:八丈島編
















昭和40年代に使われた八丈島観光用の地図



観光全盛期の当時は、羽田から八丈島間を、名古屋からも含め

1日7便の飛行機が飛んでました。現在は1日3便。


以前は、たくさんの民宿やペンションの他に、4軒の大型ホテルも

ありましたが、2軒は潰れました。今は薄気味悪い建物だけが残ってます。
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国際ホテル :大賀郷地区、大潟浦の海岸線にある廃ホテル


これだけの建物を一度建ててしまうと、、離島では、、解体をしても

廃材の処理ができないので、永遠と建ったまま、残ったままになってます。


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底土キャンプ場近くにある廃ホテルオリエンタルリゾート


未だに住み込みの管理人がいます。中に入った事がありますが、

昭和の豪華リゾートホテルの残骸でした。


当時は映画の撮影に使われた事もあるそうですが、

今ではその面影はまったく無く、広い敷地と建物だけが残ってます。



東洋のハワイと呼ばれたその後、、大きな変化はなく時間が止まったままの

八丈島ですが、少しづつテレビで取り上げられるようになりました。


八丈島が沖縄の離島と思ってる人もいますが、

それはそれとして、、変わらぬ八丈島を楽しむ人もたくさんいます。