「サランラップ君」「ネビル」「宇宙人」「ダースベイダー」

 

 

これらはすべて、おれについたことのあるあだ名です。どんだけ多いねん、って話ですよね…(笑)。

 

 

 

それはいいとして、今日はちょっと趣向を変えて、ガッツリ社会的な話題を取り上げたいと思います。

 

 

 

ここ数年、「あだ名は、果たして是か非か」というような類の話が多く出てきているような気がします。とりわけ学校においては、あだ名を厳格に禁止して、「苗字 or 名前+さん」で呼ぶことを規定しているところが最近増えていると聞きます。

はたして、あだ名は存在してしかるべきものなのでしょうか、はたまた排斥されるべきものなのでしょうか…

 

 

 

まずおれの個人的意見から申しますと、あだ名は存在してしかるべきものだと考えています。

ただ当然ながら、生きとし生ける人間すべてに対してあだ名がなくてはならない、ということを言いたいわけではありません。あくまで「排斥されるべきものではない」と言いたいにすぎません。

 

 

というのも、あだ名は一人一人の人間に必ずなくてはならない「個性」の一つを形作ります。そのような働きを担いうるあだ名を厳格に禁止することは、いわゆる「個性の埋没」につながるのではないかと考えます。ただ、さすがに論が飛躍しすぎでしょうか…(笑)

 

 

とはいえ、ニュースなどで小学生や中学生が自分のクラスメート(当然同い年)を「さん」付けでよぶ光景を見たことがありますが、疑いようのない違和感を終始感じっぱなしでした。まあおれ自身があだ名が存在するのが自然な環境で育ってきたという、一種のバイアスが多少かかっていたのかもしれませんが、どうも「これじゃない」感が否めなかったのは事実です。

 

 

もちろん、「あだ名が原因となっていじめや嫌がらせにつながりかねない」あるいは「あだ名を毛嫌いする人がいる」という言い分が存在しうること、そしてその言い分もまた理に適っていることは百も承知ですし、前述したように、

あだ名は決して強制されて付けられるものではありません。

 

 

しかし、そのような言い分が全体のうち圧倒的大多数を占めるとはおれは決して思いませんし、自分のあだ名を好意的にとらえている人も少なくありません。あだ名というのは、そういった一定数いる、あだ名に対して肯定的な意見を抑圧してまで禁止されるべきものではないし、そのような極端な手段を用いる必要はないといいたいわけです。

 

 

問題なのは、あだ名という、良かれと思ってつけられた大切な「個性」を悪用し、排他的行為の手段として用いる輩(あるいはそれを助長、ないし黙認するような状況)ではないでしょうか。それをどうにかしないと極端な話「あだ名を禁止とする規則すら悪用されかねない」という、一層煩雑な状況を生みかねません。

 

 

 

結局のところ大切なのは、相手が嫌がるあだ名をつけない、ついたあだ名をきっかけとして、いじめ、いやがらせ、ないし排他的行動に走らない、あるいはそのような状況を作らせない、といった「適切なモラルづくり」に奔走することだとおれは考えています。まあ実際やってみるのは容易なことではないのは十分知っているわけなんですけどね。

 

 

 

※余談ですが、おれが前職についていた時、担当した生徒がこのような社会的話題を知っていたことに非常に感銘を受けました。やはり学生の時から社会的話題に対して関心を持つということは非常に重要ですね…。

 

 

 

 

と、長々と語ってしまいましたので、今日はこの辺で結びましょう。

まだ前回のポケモンの話が終わってないので、また近々投稿します。

 

 

 

Au revoir...