こんばんは☆
今日も皆さん御苦労様でした☆
今日は午後にやっと
少し休めました☆
少し今日はわたし自身の話を
したいと思います☆
わたしの家族は
おじいちゃん、おばあちゃん
お父さん、お母さん
3つ上の兄
わたしの
6人家族でした。
わたしの家はごく普通の
家族でした。
家を建てて住み始めてから
少しずつ状況が変わってきました。
その当時わたしは
小学1年生かな
兄の影響もあり、かなりお転婆でした。
わたしは家族全員
大好きでした。
特に兄は特別でした。
兄にはよく
遊んで、喧嘩して
ときにはいじめられもしました。
多分可愛いかったのかな。笑
しかし、兄にはよく
「弟が良かった」と言われました。
わたしは兄は特別だったので
言われたときは
悲しかったんです。
わたしだって
好きで女に生まれたわけぢゃない。
わたしは
小さい頃から
人とは違う独特の感性があり
今自分でも思い返してみても
変なの~って
思います。笑
兄から言われてから
そこからわたしは
変わりました。
男の子の格好をしたり
振る舞いをしたり
でも同性を好きになるとかは
ありませんでしたが。
やっぱり
小さい頃から感じていたのは
親たちも男の兄を気にかけていた
気がしていました。
兄は長男で男だから
わたしは女だから
差別間に浸っていました。
親にはお前は女だからとか
兄は男だから違うとも
言われ続けて
頭の中でいつも
「なんで?なんで?」でした。
男だから女だからって
何?
わたし自身も大きくなるにつれて
わたしはその差別的な事が嫌でした。
年齢は仕方ない事ですが、
他の事で上も下もないと
なんで平等ではないのか?
「お前は女だから」
好きで女で生まれたわけじゃないのに。
その時親に愛されていたからこそ
言われていた事、
今ではよくわかります。
その当時、父と母の仲は
少しずつ悪くなっていきました。
父はもともと仕事柄
家にいない事が当たり前でした。
おじいちゃんとおばあちゃんと
住み始めてから
父は休みの日でも家をあけるように
なりました。
わたしは小さい頃からの事だったので
当たり前でしたから
なんとも思いもしませんでしたが、
母は不満がいっぱいだったようで。
裕福でもなく
貧乏でもなく
家も建ってうちは
裕福だぁ~とも思っていました。
わたしは脳天気でした。笑
母とよく意味不明な事で
笑っていたからかな。笑
一度も不幸せとも思った事は
ありませんでした。笑
でも、父と母は
喧嘩が増えるようになり
母が泣いてるいるのをよくみていました。
わたしは反抗期もあったのか
父が嫌いになり
父と話すのも嫌になり
その数年後には
父の借金も判明し
母がよく友達に相談して
離婚の話もしていました。
わたし的に、離婚してほしかった。
父の言っている事に理解ができないし、
母は泣いたり、悩んでる姿をみるのが嫌で
そんなときわたしは
まだ小学生。
無力なわたし。
なにもできないわたし。
味方であることしかできないわたし。
母もストレスなのか
少しヒステリックになっていましたし。
わたし自身の中では
男ではない女であることでの
気持ち。
もう嫌で嫌で
本当に嫌でした。
早くこの家から出たいと
思っていました。
そのうち父の顔も見れなくなりました。
母が一番辛かったと思いますが。
唯一兄がいたから
いれたかな。
小学生のわたしたちは
離婚したらどっちにつくかとも
話していました。
わたしは、断然母。
兄も母というと思っていたら
父と答えました。
内心ホッとしましたが、
兄はわたしの事を考えて
父と答えたのかと思っていました。
今ではその理由がわかりましたが。
わたしは、嫌いな父でも
わたしの親だし、おじいちゃん、おばあちゃんも
いずれはいなくなってしまうし
父は一人っ子だし
どちらかがついていかないと
かわいそうとも
勝手に考えていました。
母はわたしたちを理由に
離婚はしませんでした。
小学生の頃から
母の愚痴悩みも聞いていました。
父と母は母方の親に
結婚を反対されて結婚をしました。
親たちに心配もかけたくないし
帰る場所なんてない
わたしと兄を一人で育てる事も難しい
我慢していました。
でも父方の親たちは
父も一人っ子で可愛かったけど
おじいちゃん、おばあちゃんは
母の事も大事にしていました。
特におじいちゃんは。
それが唯一の救いだったのかも。
おばあちゃんが亡くなり
その3年後にはおじいちゃんが
亡くなり
最後まで母がお世話をしました。
おじいちゃんが亡くなる頃には
兄は大学生
わたしは高校生
わたしたちもできる限りの事を
してきました。
兄はおじいちゃんを
誇りに思っていました。
今思えば、
一番似ていて近い存在だったのかも。
今日はこの辺で。
