僕ら人間には、
ほとんどのその他の動物が
巡り合う事の無い
「気付き」
があり
そのとても
後味の悪い
「気付き」を
隅々まで咀嚼し
味わい、理解し終えると
「成長」、もしくは「進化」を
確実なまでに実感することが
出来る。
その
「気付き」に
落とされた場所が
深ければ深いほど
その高さから
這い上がる事は
困難になり
また昇り詰める過程で
見つけるもの、得るもの
達成感の度合いは
落ちた場所が
深ければ深いほどいい。
とてつもない
苦痛、苦労、屈辱、
敗北、劣等、悲壮、
の末
落とされた位置に
戻ることが出来た時
這い上がることが出来たときの
あの
確実に感じる
「成長」、「進化」
この素敵な感覚を
実感できるのも
一部の、ほんの一握りの
人間だけなんだと思う。
微かに見えた蝋燭の灯り
もう少しで
道標はみつかっただろう
だけど
また霧に阻まれる。
もしくは煙なのか。
その煙に浚われ
消えてなくなってしまうのかも
ここからまた新たな
光を見つけるまでに
どれだけの時間が
かかるのか
それとも消滅してしまうのだろうか。
もし自分が今
ステキな出来事に
遭遇する馬鹿げた夢を
見てしまっているなら
そのステキな出来事と
遭遇できるように
自分で自分を
演出すればいい
素敵な出来事と遭遇したいと
待っているのは自分じゃない
「自分の望んでいる物事」が
待ってるんだ
なにもやろうとしない自分を
ウズウズしながら
まだ動き出していない未来で
まってるんだ
出会えるか、
出会えないか、
そうじゃない
やるのか
やらないのか
ただそれだけの事
~不安や後悔に浪費した時間~
それは代償
そしてまだこれからも
払い続けなければならない
その代償が
莫大な報酬に変わるまで
しかしこれからはその代償は
「浪費」ではなく「投資」
諦めることなく
代償を投資し続ける
幻想がいつか現実に形を変えるまで。
やるか、やらないか。
何で気が付かないんだろう。
なにもしない。
むしろ無駄なことばかり
やればいいのに
やるだけ、なのに。
めんどくさいわけでもないし
時間がないわけでもない
ただだらしなく
時間は過ぎていた
これまでに
やろうとしてできなかったこと
始めることすらしなかった
何か・・・
そしてなぜそれを
始める前から
諦めてしまったのか
できるからすることよりも
できないからやろうとすることのほうが
楽しかったり
大切なんじゃないのかな
過去への後悔と未来への不安
過去が足枷となり
未来に進むことが出来ない
それを言い訳に進もうともしない
これらから自分の心を
完全に昇華させたとき
初めて現在に生きる事が出来る
「現在」に生きる事が
出来るようにならなければ
これから来る未来を強く思い描き
一瞬しかない「今」を楽しむ事は出来ない
過去の享受と未来への期待
過去は切り離せるものでなく
未来は必ず訪れる
過去が現在を形成し
未来は現在を創造する
どれほどの人間が
そこに到達し
現在を生きるのか