　我が国で公開される外国映画や洋画DVDに付けられている日本語字幕には、明らかな「誤訳」や「カン違い」がしばしば見受けられる。

　そんなことは今さら誰に言われるまでもなく、多くの映画ファンが先刻ご承知かもしれない。

　特に、多少とも語学の心得のある方なら、劇場で洋画を観ているときや、家でDVDを楽しんでいるときに、「あれっ、この字幕、ちょっとヘンじゃね？」と思われたことが何度かあるはずである。

　たしかに、洋画に付けられている日本語字幕には、「ちょっとヘン」なものや「相当ヘン」なものが多い。

　ときには許しがたいような誤訳に出くわすことがあるし、字幕翻訳者の常識や知性を疑いたくなるようなトンデモ字幕にお目にかかることもある。

（なお、「字幕翻訳者」という日本語はおかしい、という意見もあるが、映画業界の慣例では、「字幕用の日本語台本を作る人」のことを「字幕翻訳者」と呼ぶようなので、この記事でもその慣例に従う）

　我々映画ファンにとっては悲しむべきことだが、映画産業の消費者でもある我々が否応なしに見せられている日本語字幕の質と水準は、おしなべて低劣であるのが現状である。

　では、なにゆえに低劣なのか。それは言うまでもなく、字幕翻訳者の翻訳能力に問題があるからだ。

　もちろん、洋画の日本語字幕には、文字数や秒数の制限があるだろう。

　その課題を克服し、日本語を巧みに処理して字幕を付けるには、そのための「技能」や「経験」が必要なことも理解できる。

　しかし、それ以前に、、オリジナルのセリフを正しく和訳するための「翻訳能力」や「語学の素養」が絶対に欠かせないはずである。

　この点に問題のある字幕担当者が多いからこそ、結果として日本の洋画ファンたちは、たびたび欠陥字幕を見せられ、ときには製作者の意図したものとは違う解釈をしてしまったり、映画の本当の価値を見誤ったりするのだ。

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　というわけで今日は、洋画字幕についての記事を書くわけだが、グチばかり並べていても仕方がないので、具体的な例をいくつか挙げて、このテーマをわかりやすく検証していこうと思う。

　そこでご登場いただくのが、我が国でもっとも著名な字幕翻訳家である戸田奈津子氏である。

　なお、この記事ではこれ以降、戸田さんのことを「ナッチ」と呼ばせていただく。特に深い意味はなく、「ナツコ」や「ナツミ」という名前の女性は「ナッチ」と呼ばれることが多いという、ただそれだけの理由である。

　一介の教職者にすぎない私は、もちろんこの有名な方とは一面識もない。

　過去に二度ほど講演を聞きに行ったことはある。

　ところで、私は中学生の頃から今までずっとハリウッド映画の熱烈なファンであり、どちらかといえば映画オタクである。

　家でレンタルの洋画DVD（何年か前まではビデオだったよね）を観ているときに、許容範囲を超えたあまりにひどい誤訳字幕や珍訳に出くわすと、停止ボタンを押し、その箇所を、字幕担当者の名前とともに、「誤訳コレクション」と題したノートにメモする習慣がある。十二年ほど前にこれを始めたと思う。

　他人の失敗を集めて喜んでいるようで、自分でもあまりいい趣味とは思わないが、いうなれば備忘録のようなものだし、いつかは何かの役に立つときがくるかもしれないと考えて、いまだに続けているし、これからもやめるつもりはない。

　そして、このノートの中に、たびたびナッチの名前が登場する。

　ただ、ナッチがこれまでにヤッちゃった数々の誤訳や珍訳をあげつらっていたら、恐るべき長さの記事になってしまうだろう。

　洋画の字幕に関しては、このノート以外にも、書けそうなネタはたくさんあるが、やはり、あまりに長くなってしまってはまずいので、とりあえず今回は「第１章」として、キリのいいところでやめておこうと思う。

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　さて、我が国の字幕翻訳界の第一人者、というより、「誤訳字幕の大御所」というべきナッチだが、私の手元に、ナッチが書いた「字幕の中に人生」（白水社）という本がある。

　この著書の中に、ナッチが「地獄の黙示録」（１９７９年）に日本語字幕を付けたときの裏話を紹介している部分がある。

　ちなみに、この映画は、ナッチが「字幕デビュー」を飾った記念すべき作品である。ナッチの「字幕人生」はここから始まったようだ。

　この裏話の部分を読めば、この御婦人が、はたしてどれほどの才能と資質を備えた「翻訳者」なのか、およその見当がつく。

　その箇所を紹介しよう。

　ナッチいわく、

『「地獄の黙示録」のあるシーンに、こういうセリフがある。

　"Take care of him with extreme prejudice."

直訳すれば「極端な偏見をもって彼を始末せよ」ということだが、これは「殺せ」ということを、もって回って言う表現である。英語では with extreme prejudice という表現を、隠れた意味をこめて使うことがあるが、「極端な偏見をもって」という日本語はわれわれにはまったく耳慣れないものである。このせりふを直訳して、字幕の出た一瞬に観客は、その意味しているところを理解できるだろうか。もし「極端な偏見をもって彼を始末せよ」の真の意味を理解しそこなったら、主人公の若い大尉がいまこの場で「上官を殺す命令を受けた」という、ストーリー上のもっとも大事なポイントを理解できず、それ以降のストーリーの展開がすべて不可能なものになってしまう。またその可能性は大である。

　だとしたら、「極端な偏見をもって」という湾曲的な表現のおもしろさは重々承知しつつも、「暗殺命令を受けた」ということをはっきりさせることのほうが優先するのではないだろうか。そのかねあいが、映画の「商品性」を考えるということである。私はこの場面に「彼を暗殺せよ」という字幕をつけた』（以上、原文のまま）

　たいして、長くはない一文だが、非常に気になる部分が何箇所かある。

　まずひとつめは、『「地獄の黙示録」のあるシーンに、こういうせりふがある。"Take care of him with extreme prejudice."』と書いてある部分である。

　実は、「地獄の黙示録」の中に、"Take care of him with extreme prejudice."というセリフはない。

　映画が始まって１７分ほど経過した時点のこのシーンで、謎めいた民間人が発するこのセリフは、"Terminate... with extreme prejudice."　である。つまり、 Take

care ではなく Terminate 「終わらせろ」である。

　民間人のこの言葉は、ハリソン・フォード演じる通信部将校のセリフ、 "Terminate the Colonel's command."「大佐の支配を終わらせろ」を受けて、単なる繰り返しのように発せられる。

　つまり、この人物のセリフ自体は、ナッチが書いているほどには物語の中でまったく重要な意味は持っていない。

　たとえこのセリフがなかったとしても、「ストーリーの展開がすべて不可能なもの」になることはない。

　ナッチが terminate を take care　と取り違えた理由だが、おそらく字幕制作の準備用にナッチが映画会社から渡された英語脚本の中のセリフは　take care だったのかもしれない。

　映画製作の現場では、しかし、土壇場になって脚本のセリフが改変されることなど日常茶飯事である。

　この terminate も、おそらく撮影用の台本では Take care だったものが、現場で急きょ変更されたのかもしれない。

　ナッチは、Take care of him with extreme prejudice. を『直訳すれば「極端な偏見をもって彼を始末せよ」だが、』と書いているが、take care とは「うまく取り計らう」や「問題を処理する」「面倒を見る」というようなニュアンスであり、場面や状況次第では、いわゆる「始末する」や「片付ける」という日本語の含みを持つ湾曲表現として機能するだろうが、決して「直訳」として「始末する」などという不穏な訳語をあてられる熟語ではない。

　米英人は、別れ際に Take care! と言うことがあるが、これも「じゃあね」や「（体に）気をつけて」というほどの意味であり、何かを「始末しろ」ではない。

　以下の部分も非常に気になるところだ。

　『「極端な偏見をもって」という日本語はわれわれにはまったく耳慣れないものである。このせりふを直訳して、字幕の出た一瞬に観客は、その意味しているところを理解できるだろうか。もし「極端な偏見をもって彼を始末せよ」の真の意味を理解しそこなったら、主人公の若い大尉がいまこの場で「上官を殺す命令を受けた」という、ストーリー上のもっとも大事なポイントを理解できず、それ以降のストーリーの展開がすべて不可能なものになってしまう。またその可能性は大である』

　先ほども書いたように、このセリフは、それ以前にハリソン・フォードが言う「大佐の支配を（あるいは指揮を）終わらせろ」という言葉に対して、念を押すように発せられるものなので、「極端な偏見」という表現を日本の観客が理解できるかどうかは、ストーリーを把握するうえではまったく支障のないことだ。

　ちなみに、私が持っている「地獄の黙示録」のビデオ（VHS版）でこの場面を観てみると、ハリソンのセリフである Terminate the Colonel's command. こそが「彼を抹殺しろ」という字幕になっている。

　まあ、ナッチのちょっとした勘違いか、記憶違いなのだろう。

　それにしても、自分の著書を執筆するときは、映画の中のセリフなどについては、一応ビデオか何かで確認し、正確さを期すべきではないだろうか。

　それともナッチは、自分の書いたものに関して、勘違いや間違いをあまり気にしない人かもしれない。『その可能性は大である』。

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　ところで、 Terminate with extreme prejudice. というセンテンスは一種の慣用句のようなものではないかと思い、私は、アメリカ人の友人二人にメールを送って、この表現についてたずねてみた。

　二人のうちの一人はカリフォルニアに住むイラストレーターであり、もう一人はインディアナの弁護士である。

　まず、イラストレーターからの返事は次の通りだった。原文のままご紹介する。

　"Terminate with extreme prejudice" doesn't contain any popular idioms, to

my knowledge. I think it's just a sentence. I imagine it means someting like

genocide". Does that help?

　「ぼくが知る限り、Terminate with extreme prejudice には、よく使われるような慣用句は含まれていない。これはただの文章だと思う。ぼくの想像では、genocide （計画的な大虐殺）のような意味ではないだろうか。お役に立てたかい？」

　次に、弁護士からの返事を、やはり原文のまま紹介する。

I have always taken that phrase to mean to kill. I have always thought of it as referring to killing an individual as opposed to large number of people as would be included in the term genocide. I hope that is helpful.

　「ぼくは常々このフレーズを kill （殺す）という意味だと解釈してきた。genocide　という言葉に含まれる大勢の人という意味合いとは逆に、一個人を殺すことを示していると思う。この説明で役に立てたならいいが」

　この二人の返答を読むと、Terminate with extreme prejudice. という表現は、英語の慣用句や決まり文句ではないし、人によって受け取り方も変わる微妙な言い回しであることが推測できる。

　つまり、あまり正しい意味にこだわる必要はなさそうである。

　日本語でいえば「きっちり片を付ける」という言葉に近いかもしれない。この言い回しも、文脈次第で微妙に意味が変化するはずだ。

　いずれにしても、ナッチがこの文章で言いたかったのは、「彼の支配を終わらせろ」や「彼の指揮を断ち切れ」と直訳したのでは、日本の映画観客はその意味を理解できないだろうから、やむを得ず「彼を抹殺しろ」としたのだ、ということのようである。

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　このセリフが発せられるシーンは、マーティン・シーン演じる主人公ウィラード大尉が、カンボジアの奥地に自分の秘密帝国を築いている狂人めいた米軍大佐（マーロン・ブランドー）の指揮を断ち切れとの「極秘指令」を受け取るところだ。

　ここに登場する人物たちのやり取りや、場面の流れなどから、たとえハリソン・フォードのセリフに「大佐の支配を終わらせろ」という字幕が付いていたとしても、ほとんどの観客はそれが何を意味するのか、充分に理解できるはずである。

　そもそも主人公が受け取るこの指令は、軍の記録に残せない秘密任務である。

　アメリカ軍の将校たちが、自分たちと同じアメリカ軍将校を処分する話をしており、だからこそハリソンは、「支配を終わらせろ」などという遠回しな言い方をしている。

　したがって、「彼を抹殺しろ」などというストレートな表現は、さりげない会話を装いながら内密の相談をしている人間たちの口から出る言葉としては、あまりに唐突であり不自然である。

　むしろ、「彼の支配を終わらせろ」と直訳したほうが、この場面のセリフとしては至当である。

　また、そのようなデリケートな状況の中の言葉だからこそ、脚本の作者は、ハリソンのセリフをわざわざ Terminate the Colonel's command. としたはずだ。

　この作品に限らず、映画の中のセリフというものは、場面や状況を吟味して慎重に推敲されるものだろうし、そうあるべきである。

　ここでのハリソンの言葉などは、その典型的な例といえるだろう。

　この場面においてもっともふさわしいセリフとして、脚本家が充分に考えぬいた末に選び出したもののはずだ。

　その大切なセリフを、日本の字幕翻訳者が、原型をとどめないほどに作り変えてしまうことは、翻訳者が自分の考えで勝手に脚本を書き変えてしまうことと同じである。

　このような行為は、映画を作った人々に対して、そして日本の映画ファンに対しても、非常に失礼なことである。

　洋画字幕とは、あくまで外国語のセリフを正しく日本の観客に伝えるためのものであり、決して字幕担当者の「創作」の場ではない。

　それぞれの役どころを与えられ、この場面を巧みに演じているハリソン・フォードやマーティン・シーンなどの優れた俳優たちは、言うまでもなく、自分が置かれている状況と、そこで自分に与えられたセリフをもとに演技をしているのだから、Terminate the Colonel's command. というセリフを言うときには、それにふさわしい微妙な表情や身振りというものがあり、言い換えるなら、映画の中のセリフと、それを言う役者の演技とは、決して切り離しては考えられないものである。

　にもかかわらず、俳優が抑制をきかせた繊細な演技で「大佐の支配を終わらせろ」と言っているときに、「大佐を抹殺しろ」などという馬鹿げた日本語セリフが付いたのでは、演技とセリフがまったくかみ合わなくなってしまい、トンチンカンな映像が出現することになる。

　日本語字幕が、俳優の演技を殺してしまい、せっかくの努力と苦心を踏みにじっているわけだ。

　映画の「商品性」を考慮したらしいが、そんなことは日本の字幕翻訳者が心配しなくとも、ハリウッドの映画スタジオの重役たちや出資者たちが、朝から晩まで考えている。

　ナッチが心配すべきなのは、自分自身の、映画という表現芸術に対する基本的な理解と知識の欠如である。

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　「字幕の中に人生」の１５２ページから１５４ページに、「日本人のユーモア」について書かれている箇所があり、以下は、その一部を抜粋したものである。

　『日本人が生真面目でユーモアを解さないのは、いまさら耳新しいことではないが、それにしても日本の映画や芝居には、軽妙なせりふのやりとりで客を笑わせてゆくというタイプのコメディーは、昔から現在に至るまで皆無である。ユーモアが苦手という日本人の弱点を率直に物語るデータだ。（中略）諧謔精神が欠如しているだけではない。笑いは知識の下敷きを必要とする』

　まさに、日本人がいかに面白みと知性に欠ける人種であるかを、手厳しく批評しているような文章である。

　このように、「ユーモアを解さない」「皆無である」「苦手」「欠如している」などと断定しているあたりは、まぎれもなく日本国民を見くだしているわけだが、つまりナッチは、自分はそうではなく、特別な人間なのだということを言いたいのだろう。

　ともあれ、日本人に対してこのような考えを持っているせいか、ナッチは、英語のセリフではジョークを言っている場面であるのに、字幕ではまったく冗談になっていない日本語のセリフを付けることがある。

　もう一度、私が持っている「黙示録」のビデオの中にある一場面を取り上げる。

　映画が始まって２０分ほど経ったところで、マーティン・シーン演じる主人公が、オフ・スクリーン（演技者が画面に映っていない状態）で次のようなセリフを言う場面がある。

　"Shit... charging a man with murder in this place was like handing out speeding

tickets in the Indy 500."

「くだらん、、、ここ（ベトナムの戦場）で誰かを殺人罪で告発するなど、インディ５００マイル・レースでスピード違反の切符を切るようなもんだ」

　このセリフは、観客を爆笑させるほどの冗談ではないが、けっこう気のきいたたとえを使ったジョークであり、主人公のキャラクターの一端もかいま見せている。

　このような含みを持つジョークである以上、なるべく日本語字幕に残すべきである。

　しかし、ナッチがこのセリフに付けた字幕は、以下の通り。

　「殺人罪を犯した奴など、ここには無数にいる」

　オリジナルのセリフにこめられたユーモアなど、影も形もなくなっている。

　その理由は、この冗談は日本人には通じないと判断したためかもしれない。

　もちろん、字幕の宿命として、字数の制限という問題も当然あっただろうが、このセリフが発せられる箇所は、少々長めの字幕になってもまったく支障はない。

　たとえば、「この戦場で殺人罪だと？　自動車レースでスピード違反を取り締まるようなもんだ」ぐらいの長さになっても、まったく問題はないはずである。

　何より奇妙なのは、なぜナッチは、このセリフに「殺人罪を犯した奴など、ここには無数にいる」などという不思議な字幕を付けたのか、ということである。

　オリジナルのセリフは、ベトナムの戦場での殺人罪を否定している。

　しかし、ナッチの字幕では、主人公は戦場での殺人罪を肯定していることになり、本来の意味とはまったく逆のニュアンスになっている。

　なにゆえにこのような不可解な字幕になってしまったのか、その理由として当然考えられるのは、おそらくナッチは、このセリフがジョークであることに気づかなかったのである。

　日本の映画や芝居には軽妙なセリフがまったくない、と酷評しているナッチが、アメリカ映画の中の軽妙なセリフに気づかなかったとすれば、なんとも皮肉な話である。

　まさに、トホホと言う他はない。

　（第１章）（終わり）

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字幕の黙示録 （第１章）

字幕の黙示録　（第１章）