2005618

そもそも何で別荘を建てよう、ということになったのだろう。

以前からHさんに別荘へ誘われていた。2004年7月お言葉に甘えて一家四人で出かける。良く晴れた気持ちの良い日であった。

海ノ口自然郷に到着し、アプローチを目にして、余りに素晴らしい景観に圧倒された。真直ぐに延びた唐松並木の車道、その両脇の良く刈り込まれた芝生、そしてその奥天空に聳える八ヶ岳連峰。この景観でこの別荘地の価値を理解できた。別荘地は八ヶ岳連峰の東斜面。横岳の尾根沿いに広がる。

この日は途中にある高原ロッジまで迎えに来て頂いたが、Hさんの別荘はずっと上の自然郷の最高地点に近い富士見地区にある。標高は1750mである。

玄関へのアプローチはかなりの坂道である。駐車スペースの脇に数段の階段がある。そこから先は踏み固められた砂利道である。凡そ700坪ある敷地は唐松と白樺、それに櫻など何種類かの木々の疎林になっており、下はびっしりと熊笹で覆われている。

数段のステップを上がると、玄関前から南側にデッキが広がる。色はチョコレート。玄関の扉にステンドグラスが嵌め込まれている。ご両親からの寄贈とのこと。

別荘の中は全体にシンプルに纏められている。子供の玩具などが溢れ返っている我が家とは全く雰囲気が違う。大人の住まい、と言ったところか。

この日は泊めて頂いた。デッキでBBQをしたり、朝食を頂いたり。空気は澄んでいてとても気持ちが良い。ここは八ヶ岳の眺望もある。ただ、こんな高地でも蛾などの虫は多い。

管理事務所のYさんとはこの時初めて面識を得た。独身で若く見えるが、もう子供が一人二人いて良い年とのこと。

夏帆は生まれて始めての遠出である。観た様子では全く問題無い。来る途中も良く眠っていて、むずがる事も無かった。麻生はいつもの通りシャイだが段々慣れてくる。

翌日はHさんのお勧めで自然郷内の売りに出ている別荘、土地を見て廻った。案内はYさん。その後幾度か案内して頂いたが、この日だけで15件前後の物件を見たように記憶している。数を見るとともに眼が肥えて、中々すっきりこれが良いという物件に辿り着かない。もっとも最初はほんの冷やかしの積りであったのだが。

やはり中古物件は難しい。欲しい土地と建物がマッチングしない。幾つか見る内に、要件が纏まってきた。土地に関しては、先ず傾斜が緩やかであること。麻生と夏帆が転がり落ちてしまうような傾斜地では困る。それに道路から家へのアプローチをほぼ平坦にできること。荷物の運搬など利便性を考えてのことである。また、建物については、部屋数は少なくても良いからシンプルで明るい大きな部屋を確保していること。

この後も何度か自然郷を訪れて様々な物件を見せて頂いたが、結局建物付きで気に入ったものは無かった。

それで土地に絞って探し始めたが、なぜかこの頃には八ヶ岳自然郷に別荘を持つことに何の迷いも無くなっていた。

最終的に二つの土地が候補に残った。一つはSさんが自然郷でベストの眺望と評価している区域の一区画であるが、残念ながら隣の区画のオーナーが眺望確保のため保有しているとの事で、売る気は無いらしい。もう一つは購入した小丸地区の1003坪の大きな区画である。ここはたいした眺望は無いが南に緩やかに傾斜した土地でとにかく広い。広い分だけ値段も高く、半分だけと言うことも考えたが、後々買い増すとかえって高いものになりそうなので思い切って全て購入した。2004年の10月である。

ところで、Sさんだが、彼はHさんの友人でもあり、自然郷でHさんの別荘の斜め裏に敷地続きで別荘を持つ隣人でもある。また、Hさんの知人が経営するコンサルティングファームの常務である。Sさんは、とにかく良く歩くようだ。八ヶ岳自然郷には凡そ2000区画の別荘地があり、そこに1200戸ほどの別荘が建っている。高低差は標高1350mから1850mまでの500m。これをほぼ全て走破されているようだ。良くご存知である。Sさんにも今後親しくお付き合い頂きたいと思っている。

ところで小丸の我が別荘地だが、私は二人目のオーナーである。最初の方(会社所有)は昭和43年、1968年に購入し直ぐに別荘を建てている。私が購入した時は既に取り壊されていたが、敷地にその痕跡が残っている。敷地の中心より少し北側に位置していたらしい。

この区画を当初見た時は下草も潅木も伸び放題で大部分は足を踏み入れることもできなかった。買う気が有りそうだと見たのか、価格交渉をしている内にきれいに手入れされ見通しの良い土地になっていた。

最終的に土地の購入を決めるに当って、H、S両氏は勿論、Mさんにも見て頂いた。皆さんポジティブな反応であることに力を得て契約に至った。

土地を確保すれば当然建物が欲しい。漠然と予算と思っていた数字をかなり超えるが中途半端な物にはしたくない。そんなこんなで結局結構な費用になりそうだ。

建物の概略設計が始まった。弥生とあれこれ議論しながら纏めた一案がある。Mさんには全体の大きさ、部屋数、幾つかの必須スペックをお話した。それらを考慮したMプランも出て来た。手書きの簡単な間取り図である。

居間が狭い、キッチンが狭い、和室が無い、洋間は広過ぎるし隔離されすぎ、などの不満を表明する。一方、成る程と思い積極的に取り入れた提案も数多くある。車寄せを北側玄関前に造る。Mさんは出入り口辺りで雨に濡れるのが嫌いである。横浜の自宅ガレージ戸口もガラス2枚で覆われ一畳半ほどの雨に濡れない空間を造っている。同じく南側のデッキも一部板ガラスで覆う。玄関は独立した空間とし、居間側に扉を付ける。これは寒さ対策である。

議論の上Mさん案に寄せたスペックもある。和室は、私の勝だが、意匠はM案の洋風になりそうだ。押入れの扉は木製ルーバー。窓に障子を付けない。床は居間と高さを合わせる。要は、居間の延長にある和風コーナーである。何が和風かというと、八畳間に六畳分の琉球畳が入っているから。和室の南掃出し側二畳分は桜材の板張りである。その他は洋間と同じ造り(?)だと思う。

階段とロフトの手摺りを金属でと言う要求をしているが、これは頑として受け入れられない。従って木製になるらしい。キッチンはMさんが探してきたアメリカ製の物が入る。アイランドもセットになっている。これは納得。大いに気に入っている。洗濯機置き場は扉が付く。この提案も歓迎だ。和室を含め全室に、玄関にも浴室にも、床暖が入る。燃料は灯油で意見一致。居間と洋間の西側の窓はまだ揉めている。風呂、トイレ、洗面について、詳細はさて置き、イメージは一致している。

ところで資金だが、ストックオプションの一部を充当する。老後の資金と麻生、夏帆の教育資金に、と考えないでもなかったがある程度の収入の目処が立っていれば、むしろ家族4人一緒に豊かな気持ちで過ごす空間を確保する事もまた大いに価値のあることだと思う。それに麻生も夏帆も暑がりだ。

2004年12月12日日曜日。

今日は建築家のMさんの要請で建物の位置変更を現地で確認する。

9日木曜日、Mさんから自宅に電話があり、週末八ヶ岳に来て欲しい、建物の位置を北側に4mほど下げた方が良さそうなので確認いただきたい、とのこと。建物の東南角の床面が地表から2m前後になり高過ぎること、床下に入れる土が足りそうも無いことなど色々説明があったようだ。

11日土曜日は皆で義母のお見舞い、12日日曜日は夏帆の御食い染めをすることになっている。弥生と相談して日曜日早朝に出て5時までには帰って来ることにした。今回は勿論私一人である。弥生は御食い染めの準備で忙しい。

翌日Mさんに電話し、日曜日に行くことを約束する。路面凍結の心配があるので、長坂の工場で落ち合い、自然郷には一緒に行くことにした。スタッドレスタイヤは買ってあるが、金曜、土曜とも付け替える閑が無い。それにどうも暖かいようだ。長坂辺りまではノーマルタイヤで全く問題無いだろう。万が一の場合にはチェーンが積んであるし。

朝5時に起床。秋口に購入した防寒パンツに着替えていると弥生が起きてきた。コーヒをジャーに入れて貰い、煎餅、ハンドタオルなどと一緒に紙袋に入れ5時20分には家を出る。今日は霜も降りてなく、前日家の前に置いたセドリックの窓ガラスもクリアだ。ルートは環八経由にする。

第三京浜、環八、甲州街道ともに極めて順調である。調布インター手前のシェルでガソリンを満タンにする。ここは2度目になる。窓もきれいに拭いてくれた。

中央高速は何処も渋滞は無く、結局一度も休憩せずに、あっという間に須玉インター近くに来た。外気温は4度。時間はまだ8時大分前。この先も路面は凍っていないようだ。Mさんに電話するには一寸早い。それに腹拵えもしたい。

結局、須玉インターで降りて、直接八ヶ岳に向かうことにした。途中のローソンでオデンとアリナミンVを仕入れる。オデンは蒟蒻、卵、餅の揚げ包、竹輪ソーセージと大根。箸とオデン味噌、からしも貰う。

141号線は殆ど車が走っていない。途中は勿論、清里辺りも全く人を見かけない。辺りは曇り勝ちだが、南アルプスの山々や八ヶ岳には雲が途切れているところがある。南アルプスの一部には朝日があたって光り輝く白い峰もみえる。八ヶ岳の雪はすっかり無くなり黒い山肌が剥き出しになっている。夏の賑わいとは対照的に、すっかり葉を落とした木々と相俟って荒涼とした景色である。辺りが真っ白に雪で覆われると、少しは華やかさを取り戻すだろう。

8時15分、現場に着いた。杭を打ち込み、遣り方がしてある。東南角は相当高い。車を降りて行ってみると、背丈以上ある。これではテラスと庭との一体感は無くなってしまうだろう。敷地は見た目以上に東南側に下がっているようだ。後ろ(北側)に下げれば解決するのだろうか? 基礎を下げると二つほど問題になりそうだ。一つは進入路が坂になること。もう一つは道路から見て家が地面に潜ったように見えること。いろいろ思いを巡らしたが、先ずはMさんに電話をすることにした。少し寝惚け声だったが、直ぐ来るとのこと。30分は間違いなく掛かるだろう。その間にオデンを食べることにする。外に陽は無く、時折風が吹き、先週に比べると随分寒い。オデンは正解であった。食べたところで一休みすることにする。

車の音で目が覚めた。Mさんである。長靴に履き替え革のコートを羽織って挨拶もそこそこに早速説明が始まる。

どうも土が足らないのが最大の問題のようだ。後ろに下げることによって削り取れる土を増やし、床下に入れる土を確保すると同時に、前庭の窪地などに入れて全体をなだらかな傾斜にする、という算段である。説明に納得し、4m北側にずらすことにした。4mの根拠は、4m下げると東南角が50cm程地面の高い区域に入り、中に入れる土を大幅に減らせる、と言うことである。

車の進入路は当然変更になる。道路からの入り口は、今の所を塞いで、北側に新たに作ることにする。木も更に伐採する必要がある。楢のシンボルツリーも切らざるを得ない。道路に面した電話の支柱も邪魔になるか?管理事務所に北西角への移設を依頼することにする。業者が頼むと有料になったりするらしい。私がお願いしてみよう。車のロータリーは無くなるかと思ったが、Mさんは作るつもりだ。何だか嬉しくなる。洋間の西側になる今の入り口には、少し土を盛り上げ、目隠しに白樺などの木を植えることにしよう。

東西両隣の別荘をMさんと見学した。西隣は車が止まっているのを見たことがあるが、東隣はまだ一度も人影を見ていない。

どちらもテラスが高く、庭と隔絶されている。

西側の家は、テラス下がちょうど背丈ほど有り、薪の保管場所になっている。テラスの上は網入りガラスで覆っている。テラスの根太は太い材を使っているが、梁に架けるところで半分切り取っている。わざわざ強度を下げていると、Mさんのコメント。庭に石が山積みになっている。土を削り取ったままになっている家の北側の土留めにすれば良い。林は殆ど手が入っていない。

東側の家は今夏完成したスウエーデンハウスだ。建物は結構大きい。40から45坪の建坪か。テラスは数多い支柱で支えられている。一本一本の支柱に金属の足が取り付けられている。大分金を掛けているようだ。踏み板は防腐処理をした薄い物が張ってある。雨の落ちるところには金属のルーバーが取り付けられている。玄関に回るとテラス同様に木のデッキ造りになっている。踏み板は厚い。デッキへの階段は、板厚は有るものの幅が狭いようだ。22~3cm位か。凍結時などの安全面からももう少し幅が欲しい。テラスも玄関回りも手摺りのデザインが重く、スッキリした感じは受けない。

床暖、給湯は灯油を使っている。タンクも2台設置している。外壁はタイルを張っているように見えたが実はタイル風石膏ボードであった。西側の家も同様の石膏ボードである。窓は独特の回転窓である。掃出しは全てドアである。スウエーデンハウスの引き戸はべらぼうに高いとのこと。それにしても東隣はきれいさっぱり木を切っている。

いつも見学してはこきおろしているが、別荘なんて所詮自己満足の世界だから、我が別荘も他人から見れば同じ様な物であろう。

長坂に行き打ち合わせの後昼食でもということになった。自然郷を出たところでMさんに滝沢牧場裏の近道を教える。

工場の前の日溜りで缶コーヒを飲みながらキッチンの見積もりの説明を受ける。輸入金額が手数料(10%)込みで約150万円。IH(16万位)が入っている。取り付け料は全部で20万強貰いたいとのこと。日本製品だったら300万円以上のセット、とMさん。多分そうだろう。内は女3人だから、別荘に来て皆で楽しく食事の準備をする様に広々としたキッチン中心の居間にしよう。これは弥生との合意事項である。その他まだ費用が不明確なところが多い。やってみてから変更ということはあり得るが、少なくともベースのプランとその見積りくらいははっきりさせたい。14日夕方、この辺りを整理して自宅に持って行く、とMさん。

昼食は近くの日本蕎麦屋、藤野家へ行った。12時前だったが既に駐車場がかなり埋まっている。入ると数人待っていた。夏は行列が出来るくらいに込むという。大きな道沿いという訳でもなく、むしろ分かり難いところに有るから、口コミだろう。味に期待が持てる。相席を了解したら直ぐ座れた。天ざる大盛り二つとトリモツ一皿を注文する。どちらも秀逸。鳥はレバーと砂肝を甘辛醤油味に煮付けた物だった。蕎麦は築地で評判の蕎麦屋と比べても上の部類。今日は私の驕り。

昼食の後、ストーブハウスとMさんの知人の木工家具屋さんに行くことにした。八ヶ岳高原を走って原村まで40分ほどのドライブだ。良く晴れて車の中はむしろ暑い位だ。八ヶ岳にもその向こうに見える蓼科にも雪は全く見えない。暖冬である。原村でMさんの助っ人をしているMiさんの家の近くを通った。赤松と唐松の林の中にあるようだ。辺りはペンションなどもある別荘地の一画である。程無くしてストーブハウスに着いた。建物は継ぎ接ぎの、はっきり言ってバラックである。中は大型ストーブに火が入っており、とても暖かい。ストーブを始めリゾートグッズが所狭しと置かれている。

入って右奥の部屋に火の入った赤いホーローの中型ストーブがある。とてもきれいなワインレッドだ。気に入った。暫らくすると社長(後で分かった)がやって来て色々説明してくれる。仕様の違い、燃やし方、メンテナンス、薪の話し。Mさんと社長のやり取りに時々質問を挟む。以前はビッグフット(代官山にショールームがある)の下請けだったらしい。川上村の田渕義雄さんがストーブ教室の教授をしている。卒業すると、田渕邸に行く体験ツアーが有るそうだ。社長に店内を案内してもらう。奥のコーナーで面白いものを発見した。薪割器である。“機”でないのはモータなどの動力を持っていないから。金属の長いパイプの下に斧の刃が取り付けてある。その上に重い分銅があり、夫々パイプを通す穴が付き、上下に滑るようになっている。薪に斧の刃を当て、上の分銅を滑り落として割る仕掛けである。昔の“ヨイトマケ”だ。値段は2万5千円。高い?安い?

Mさんから図面など渡して、見積もりしてもらうことにした。煙突の太さ、全体の長さ、曲がり具合、ストーブの機種など全体が調和したデザインが必要なようだ。上手くバランスが取れていないと、出力不足、或いは空気の逆流などが起きるという。結構難しいものである。多少値引きがあっても100万位は掛かりそうである。オプションパーツも結構良い値が付いている。メンテナンスも手間暇だけでなくお金も掛かりそうだが、ストーブは外せない必須アイテムだ。店を出る時玄関のポーチにある鋳物製の日時計が目に飛び込んできた。1時半を指している。腕時計を見ると1時半。正確なのに驚いた。

帰りは少し違うルートのようだ。八ヶ岳中央農業実践大学校を経由して、八ヶ岳鉢巻道路に出る。農場と校舎、寄宿舎、販売所などが道の両側に散在している。販売所にはドーム型の建物が幾つか有るが、ここで売っているアイスクリームは美味しいとのこと。奥さんと良く来た、とMさん。大分暖かいようだ。近くの芝生広場でピクニックをしている親子連れがいる。暫らく行くと小淵沢の道の駅に出た。ここに隣接するスパは中々良いらしい。いつか一度試してみるか。長坂のどの辺りか判然としないが、I木工に着いた。

道路からくねくねした小川沿いの砂利道を入る。入り口の川と道路に挟まれた60坪の三角の土地はMさんの所有だそうだ。奥さんが生きている頃、家を建てようと買ったらしい。砂利道は轍が深く、Mさんのアウディが腹を擦っている。2~3軒通り過ぎたところにI木工はあった。敷地ははっきりしない。あちこちに製材した材木を積み上げ乾燥させている。入るといきなり椅子、テーブルなどの家具が所狭しと置いてあり、その一隅でIさんと思しき人がお客と打ち合わせ中である。直ぐ傍のテーブルの椅子に腰掛ける。間も無くしてお茶が出た。奥様だそうだ。奥様は絵を描く。看板、表札など、ここにある絵は皆奥様が書いたとのこと。非常に細密なもので根気がいる仕事だ。絵も上手い。Mさんの奥さんはこちらの奥様に随分お世話になったそうだ。特に脳梗塞を患ってからは本当にお世話になったとのこと。ご本人も市営アパート入居の際にIさんに保証人になってもらったそうである。旦那は50台らしいが30台のお弟子さんが我々の応対に出てきた。来年自分の家を建てるそうだ。作品の写真集を見ながら好みのイメージを話す。何れにしても来年の夏になるからまた来ることを約して辞す。帰りの砂利道で奥様が週2~3回透析を受けていることを聞く。長坂の工場に戻ると2時半少し前。14日火曜日に、見積もりなどを持って横浜の自宅に来ること了解して、Mさんと別れる。

帰りは自宅まで休憩無しの2時間15分。環八で少し渋滞があったものの順調なドライブであった。家に入ると、丁度赤飯を炊き始めるところである。焼いた鯛も中々立派だ。早々に準備が整い、夏帆の御食い染め式を始める。写真、ビデオなど撮って、そのまま早い夕食となった。                       

 

 2004.12.12

2004年12月4日土曜日。

今日は地鎮祭の真似事をした。

前日に弥生と相談する。4日土曜日は雨も降らないようだからやはり行こう、と言うことになった。帰りは冨士に寄って、サファリパークに行くこと,途中の道の駅で麻生(マキ)と同じ木製の椅子を夏帆(カホ)用にもう一脚購入すること、なども予定した。冨士行きは3ヶ月児を抱えた一日の旅程としては盛りだくさん過ぎて結局断念することになったが。

早朝、まだ眠っている麻生と夏帆をパジャマのまま車に乗せ、5時45分に我が家を出発する。今日は、第三京浜、環八経由で調布インターから中央高速に入ることにした。土曜日の早朝にしては車の数は多いが渋滞もなく順調に調布に着いた。二人はまだ良く眠っているのでそのまま中央高速に入る。八王子を過ぎ、小仏トンネルを出た辺りで麻生が目を覚ました。この間中央高速も渋滞は無く極めて快適な朝のドライブであった。談合坂で最初の小休止。おむすびなど朝食を仕入れて直ぐに出発。次は双葉で小休止してオムツの交換,授乳など。八ヶ岳には9時少し前に到着する予定。朝日は無いが、風もなく暖かな朝である。ここから須玉インターまでは僅かな距離である。インターを出ると直ぐに右折し、国道141号線に入った。途中なぜか大きく見える富士山を眺めながら野辺山に向かってなだらかな坂を登って行く。車通りも少ないが、閉まっている店が多く、人影は更に少ない。清里などシーズンオフに入った観光地は、町は有るものの生活の息吹が途絶え、山村などよりももっとうらさびしく見えるようだ。

野辺山から、最近覚えた滝沢牧場の八ヶ岳山麓側を通る裏道に入る。まもなく添川に懸かる橋の手前につく。橋を渡れば自然郷の入り口だ。真直ぐに延びた唐松の並木道の向こうに八ヶ岳の山々がくっきりと見える。陽射しは無いが、山には雲ひとつ無く,黒々とした山塊が聳え立っている。雪はまだ山襞に筋条に見える程度だ。八ヶ岳の山の名が話題になったが、赤岳、横岳、阿弥陀岳、権現岳など幾つか思い出せるだけである。そもそも八つの峰があるのか如何かも判然としない。今度調べておこう。弥生が“八っつだっけ()”などと駄洒落を言いって一人で受けている。そうそう、遠く西に見える雪を頂いた鋭い山は何ていう山だろう。これも調べて置くことにする。

8時半過ぎ、建築現場に到着した。3時間弱である。

予想していたような寒さは無く、ヤッケを着ていると暑いくらいだ。

現場は先週と全く同じ状態であった。早速車を降りて林の中を歩く。子供たちはまだ眠っている様なので弥生と地鎮祭に取り掛かる。持参した米と塩を、霜柱の立つ敷地の中ほどに僅かに盛り上げ,そこに日本酒を注ぐ。熊笹を一本立て、拍手を打って終了。弥生は少し長くお祈りしていた。母親のことも併せてだろう。傍に立って終わるのを待つ。

先週建築家のMさんと打ち合わせた建物の位置、建物からの見晴らしなど説明する。

弥生は車に戻り子供達の面倒を見る。私は持ってきた鋸と鋏で枝落しを始める。本当に暖かい。少し汗ばむ程だ。そのうち麻生がやってきた。ニコニコと機嫌が良い。暫らく麻生と話しながら作業を続けたが,せがまれて散歩をすることにした。例によって麻生は、あちこちと行きたがる。しつこいのは根気が良いことの裏返しでもあるから、できるだけ付き合うことにする。敷地の南側の大きな石のある辺りが気に入ったようだ。木の根や、土に埋まった石からのジャンプが今回お気に入りの遊びである。別荘ができたら庭でも結構遊んでくれるだろう。できるだけ危なくないように、切り株など気を付けよう。

10時過ぎには帰途に着くことにしたが、せっかく来たのでHさんの別荘を覗いてゆく。標高1750mに在るH邸との高度差は300mだ。ここからの山登りは真冬になると結構厳しいだろう。距離もあるし、傾斜もきつい。

車が止まっていた。玄関をノックすると暫らくしてお二人が出てきた。これから出かける予定とのことだが、お茶でも一杯と心使い頂き、4人でお邪魔することになった。夏帆は始めてである。奥さんに抱っこしてもらい,その後和室で一眠り。麻生はお菓子を頂いたりしても中々“ありがとう”を言えない。挨拶も恥ずかしいようだ。Hさんがロフトへ案内してくれた。実は2回目である。(私は4回目)。下に戻ると夏帆が目を覚ましていた。Hご夫妻にあやされてニコニコしている。相変わらず機嫌の良い子である。コーヒーをいただき、「別荘暮らし」、「田舎暮らし」の本2冊をお借りして辞す。麻生は帰りしな、H婦人が拾ってきた松ボックリをせしめてきた。挨拶は恥ずかしがるのに、変に小じっかリしている。

帰りに敷地のある小丸地区に立ち寄り、ナビに位置を登録する。ついでに小丸を東に下りて車中から他所の別荘を見学する。雰囲気の良い大きな別荘が多い。見晴らしの良い地区もある。

海ノ口牧場の辺りで浅間山がくっきりと見えた。今日は噴煙が見えない。141号線を佐久に向かって進み、小海線の海ノ口駅を見ておくことにした。凍結時は相当きつそうなカーブの多い坂道を下って暫らく行ったが、駅が見つからない。国道は線路につかず離れず進んでいるが、案内も無ければ,それらしい建物も無い。途中で引き返すことにした。帰途、漸く“発見”した。駅舎に駅名があるのみで、やはり道路には案内が無い。タクシーも拾えそうにない。ここはやはり使えない。最寄りの駅は野辺山駅というのは正解である。

野辺山に戻り、141号線沿いで野菜・果物を売るビックリ市場に立ち寄る。

弥生に自然郷の別荘が市場の裏手遠くにたくさん見えることを教える。勿論八ヶ岳も良く見える。

子供たち二人は良く寝ているようなので車に置いて行く。車を出たら弥生が臭いという。牧場の臭いだ。相変わらず私は何も臭わない。便利でもある。

葱、山芋など野菜をダンボール一箱買う。安い。

車に戻ると二人とも起きていた。麻生は涙を流している。その後あちこちで、置いてかないでね、と念を押されることになる。

昼食は先週行った野辺山のレストランにした。私は同じ注文だ。弥生はハンバーグ定食にした。麻生はあれこれ結構食べた。ハンバーグは美味しかった。弐皿頼んだ餃子は粗方私が食べた。どうも禁煙で食欲が増しているようだ。

帰途、小淵沢のショッピングモールに寄る事にした。その前に八ヶ岳クラブに立ち寄った。弥生は車の中で夏帆のお守り。麻生を連れてお店に入った。お店の前で柳生オーナーが焚き火をしていた。大きな鉄盤の前で焚き火奉行である。麻生は機嫌良く、あれ見よう!こっち行こう!

少し迷ったが程なくショッピングモールに行き着いた。結構人がいるのに驚いた。バギーに二人を乗せ早速入ってみる。案内図を見るとどうも衣類関係が多い。弥生はリゾートライフグッズを期待していたようだ。広場の滑り台などで麻生を遊ばせ、後はザッと見流して帰ることにした。時間の無駄であった。

中央高速に乗ると少し眠くなった。弥生に運転を代わって貰うことにする。双葉サービスエリアに入り、オムツの交換,授乳、トイレなどでしばし休憩。麻生はトイレまで付いて来る。その後散歩も付き合う。弥生が、今度麻生のための外出をしてあげたいと言う。確かに親の都合で振り回している。麻生も自分がしたいことには目の色が変わる。

ここから高井戸の出口手前のバス停まで弥生が運転する。私はすっかりリフレッシュした。環八は少し混んでいたが、6時過ぎには我が家に到着した。野辺山で買ってきた野菜を中心に夕食の用意をする。モロキュウも葱焼きも美味しかった。

今日もこれまでタバコをすっていない。

弥生は時々考え事をしているようだ。お母さんのことが気になっているのだろう。

                               2004,12,06

八ヶ岳;天狗岳、根石岳、峰の松目岳、硫黄岳、横岳、阿弥陀岳、赤岳、権現岳が一般的。八とは“たくさん”を意味するようだ。

北岳