むかーし昔、私がまだ小学生だった頃
両親はテレビゲームに否定的だったので、ゲームソフトはめったに買ってくれませんでした。
なので誕生日、クリスマスは限られたビッグチャンス!
何がなんでも欲しいゲームソフトをゲットすべく、家のお手伝いなんかも頑張ったりして涙ぐましい努力の末に手に入れるわけです。
そんな思い入れ満載の一品ですから、
自分にとってはその時点で満足度No.1の世界一楽しいと思うゲームなわけです。
当時はパソコンも携帯もインターネットも無かった時代なので、
そういった情報は一部の専門誌ぐらいでしたが
小学生のお小遣いでコンスタントに手が届くものではなかったので、
どれが面白いかなんて根拠になるのは、勘と言う名の思い込みでしかありません笑
ここで一つ言い切れるのは
『この自分が本気で選んだゲームソフトは世界一面白い!』
と信じて疑わなかったことです笑
なので、週に数回家で定められたゲームをしても良い日には、文字通りかじり倒す程没頭し、さまざまな楽しみ方を自分なりに発掘しては友達にその面白さを熱く語りました。
やがて興味を持った数人がそのゲームをやり出し『これは面白い!』が広がっていきました。
そして小学校の高学年になる頃には
どのゲームを買ったら良いか相談されるようになっていました笑
もちろん、専門的な知識なんてありません。
自分がやったことは
ただ、心から面白いと思ったゲームに没頭し、それをそのまま周りに伝えただけです。
それで勝手に周りが
コイツに訊けば間違いない、なんてイメージを持って聞いてくるようになったのです。
そして不思議なことに、
自分が『これは面白いよ』と言ったものは、何故かハズレなく面白いと受け取られるようになったのです。
この現象は中学に上がってからもしばらく続き、全く面識の無い子にまで聞かれるようになってきてだんだん面倒にり、相談をお断りするようになってからは徐々に沈静化していったのですが、
今にして思えば一つのブランディングのようなことをしていたのかもしれません。
自分が良いと思うものを真剣に楽しみながら掘り下げて、素敵だと思うものを周りとシェアする。
これって仕事にも結びつくところがあるんじゃないかなーって思います。
大人になると積み重ねてきた経験値が増えて、無意識にシミュレーションして上手くいくかどうかを脳内で決めてしまったりします。
加えて今は溢れかえる程の情報が当たり前のように手軽に手に入り、清濁合わせた様々な価値観も混在しています。
その大きな波に
自分の信念や素直な感情も流されてしまいがちで、本当の自分が感じていることや、大切なことを時に後回しにしたり
周りとのバランスを優先して押し殺してしまっていることもあるかもしれません。
もちろん、そういう養われた感覚も時には大切ではあります。
でも、自分だから、あなただから感じた感情や感動は紛れもない事実で、無かったことにはならないんです。
『感動』という言葉が出ましたが
人間は感情の生き物です。
映画、音楽、エンターテイメント‥
『理動』という言葉が無いように
理屈で人の心は動きません。
自分が何をしたら良いかわからない
自分の好きなことがわからない
なりたい未来が見えない
そんな言葉を時々耳にします。
私も知らずとその中の一人になっていました。
またおいおい書きますが、
自分のルーツは概ね子供時代にあります。
今の現実が何かハマっていない気がするけど、それが何かわからない
なんか知らないけどこんなハズじゃなかった。
過去から積み重ねてきた選択肢の先に得た今は、紛れもなく自分で作り上げてきたものです。
良いとか悪いは関係なく。
一方、何も知らなかった純粋な子供の思い込みが作り上げた
『自分の選んだゲームは絶対面白い』という現実は、事実カタチとなった訳です。
ここに現実を変える一つのヒントがあるんじゃないかなーと思っています♪





