当時、東京にマンションを買って家族4人で住んでた。
仕事は映像編集。手取りは40万ほど。順風満帆な生活だったが、

あの日を境に少しずつ変わっていった。

東日本大震災・・・

妻は内部被曝を恐れ子どもたちにマスクをつけさせ登校。プールも拒否。
そんな生活は周りからも理解を得られず、異端な目で見られる。

家庭内でも諍いが増え、子どもたちにもよくないと考え、話し合った結果別居。
妻は2人の子どもを連れ疎開生活を始めるべく、東京を離れた。

東京の3LDKルーフバルコニー付きマンションで俺一人。
疎開先家賃5万の2K鉄骨アパートで家族3人の生活が始まった。

別居生活も順調だったのは最初の方だけ、寂しさもあってか俺の方は酒も多くなり

生活が荒れ・・・勤めていた会社とも衝突。
このままではいけないと考え、マンションを売却して、疎開先で一緒に住むことを決めました。


しかし、5年たった後も内部被曝に関する目立った影響もなく、激減した収入でかつかつの生活・・・をするわけもなく、浪費癖が抜けず貯金はどんどん減って行き、

そろそろ底が見えてきた。

そんな中、今回のコロナ。 

東京にはまだ友人・知人も多く複雑な思いでニュースを見ている。



そんな波乱の両親を持った子どもたちは、幸いにも健康には問題なく、

すくすくと育っていると思っていたけど、かなりの我慢を強いていた事は

なんとなく・・・見て見ぬ振り。

習い事も続けさせる事もできず、塾にも行かせられず・・・

特に長男はDSも小学6年になってやっと。


お金の無い分、愛を・・・なんて誤魔化しで言い聞かせてました。



さて、今思えば6年前、中三の3学期に突然長男が塾に行きたいと言い出したところから、我が家の新たな転機が始まったのかと・・・

つづく。