今日の被災地では、まず第5の問題として上げられるのは、復興支援(カネやヒト)、高齢者諸問題、感染や諸病、食料、子供達の学校や学習や学習場所の学校対応や学習面の対策etcとなる。

まず子供達の学習場です。例えば、中3や高3になるとまず「受験」という問題になります。この問題は、高校受験となると、人生で第一の大きな問題地点です。なぜなら、言い方悪いが、バカな高校にいったら、偏差値50くらいでしたら、行けると思うが、60とか70は難しいですよね。行きたくとも行けなくなる。そんなものなんてただの自分はバカだという思考のせいにし、その結果「自分はこんなもんでいいや」という考えが、自分で「自分の実力はこんなもんなんだ」と自分を自分で基準を特例で変えてかつそれを基準とし、抑えてるだけである。
それが原因である。
また、それで最終的には、後悔という結果になってしまうのである。
なぜなら、付属行けば後は、高校なんて簡単である。授業でやった内容を暗記し、試験はそれを書くだけで、あとは休まなくてかつ悪いことさえしなければ、行けちゃうわけである。
だから、志望校や大学や高校に行けなくなってからでは遅いので、この時期の勉強は大事だと考える。
そんな中、スマートフォンを配り、それで勉強させるのもいいが、紙不足な被災地には効果的だと思うがしかし、手厚さが見えないだろうと私は批判したい。
なぜならば、やらせるのはいいが、もし「ここが分からない」となった場合教えてもらえにも危険性があり行けないし、学校で教えるにせよ、授業が遅れてる分やる時間に当てなければならないからである。となったら、もはやそうなると、ただの表面の支援にしか過ぎないだろう。
だから私は、特例でアパートを学習室として、提供するのは、どうだろうか?
なぜならば、分からない所をそのままにするのか?こんなのただの、形だけの対策提供にしか過ぎない。もっと、形を形で支援提供しないと意味がない。そもそも震災があったので、授業が進まなくその分を補うためにもいいのではと考える。
そういったことを形を形として地域役場や県や国レベルで一体となって、対策をえないと、経済的にも新たな対策にも困難であると考える。なぜならば、他方との意見や話し合いも入れないと間に合わないからであると考える。
今のままでは、形だけ見せてるにしか過ぎない、ただの手厚くもなく支援もない「冷たい支援」にしか過ぎないからである。
私は東電にいらつきを感じている。
なぜならば、東電の管理従業員は全て、東・京大卒なのにも、関わらず倫理的判断がつかず、ほっといてしまったらしい。
それが本当ならば、清水氏は批判が少ない方である。もはや、これから絶対に社長ならば会社の責任を負い、辞職するべき事態に追い込まれると私は考える。