こんばんは
今日は11時まで家庭教師で今帰ってきたよ
さて、昨日のブログのコメント欄に質問が来ました。
慶応の過去問でby 慶応志願 08月22日 21:33
隋書倭国伝には、答礼使としてはいせいせいという人が使わされたそうですが、この人は何で日本に来たんですか?目的と歴史的意義を教えてください!お願いします!
私、問題集は理科担当なんだけどな~(苦笑)
でも、せっかくの質問だからちゃんと答えるよ
目的と歴史的意義の説明をすればいいのね。
でも、これって高校受験の範囲?
もし、難しいと思う子はこの先は見なくていいからね
もっと覚えることが他にあると思うし
この問題は応用としてとらえてね。
その当時、隋の皇帝は煬帝(ようだい)という人でした。
607年、倭の王タリシヒコ(聖徳太子・蘇我馬子説があるけど、聖徳太子説が有力)が隋に使いをつかわしたの。
その使いは「海西の菩薩天子は仏法をおこすこときわめて熱心だと聞いております。そこで使いとして海を渡ってやってまいりました。それと同時に僧侶数十人が仏法を学びにやってまいりました。」と言って、倭国の国書をさし出したんだけど・・・
その中の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす。つつがなきや…」という内容に煬帝は大激怒
「今後、外国からの手紙で無礼なものがあれば、それは耳に入れるな」と言いましたとさ…。
赤字で示した部分がとても有名だから皆も聞いたことあるでしょ?
でも、煬帝はなぜこの手紙の内容に激怒したのか分かる?
実はこの手紙は言葉づかいがひどいの!
天子から天子へ書(手紙)を「いたす」となってるでしょ。「たてまつる」だとこちら(日本)が頭を下げている感じになるんだけど、「いたす」では単に「出す」という意味にしかならない。
つまり現代語に直すと「東の天皇が西の皇帝に手紙を出します、お元気ですか」ぐらいの意味。
つまりタメ語が少し丁寧になったかな?位で対等な立場の言葉づかいなのよ。
今ではどの国も対等だけど、この時代ではこれは本当にとんでもなく非常識なことだったの。
隋の考えは「中華思想」。
中華思想=「中国大陸の中心部だけが文明国で、あとは野蛮な土地であり国ではない。」
こんな考えの国だから、中国は代々「対等の外国」というものの存在を決して認めてなかったんだよね。
まぁ、そんなこんなで煬帝は倭国の無礼な使者には二度と取り次がぬよう命令したんだけど。
隋は高句麗との戦争がせまっていて、倭国を敵にしては行けないと考えたの。それに手紙を持参した小野妹子は官位を持った正式な使者であり,倭国が国として成立していることも知ったの。
それで倭国(日本)との外交を結ぶことにしたってわけ。そして,翌年,裴世清(はいせいせい)を使者として送った。
つまり隋は倭国を国家として認めたことになります。
長くなっちゃった・・・
めちゃくちゃ簡単にまとめると
裴世清(はいせいせい)は隋の煬帝の命を受け日本の国情を視察するために遣わされた。
煬帝にすれば、あのような無礼な国書を出す国がどのような国なのか知りたかったのかもね
授業っぽくなちゃった。こんなんでいいかな?
もし、この内容が良かったと思う人は指標にするのでランキングボタンを押してくれると嬉しいな

もちろん、コメントも待ってるよ

今日は11時まで家庭教師で今帰ってきたよ

さて、昨日のブログのコメント欄に質問が来ました。
慶応の過去問でby 慶応志願 08月22日 21:33
隋書倭国伝には、答礼使としてはいせいせいという人が使わされたそうですが、この人は何で日本に来たんですか?目的と歴史的意義を教えてください!お願いします!
私、問題集は理科担当なんだけどな~(苦笑)
でも、せっかくの質問だからちゃんと答えるよ

目的と歴史的意義の説明をすればいいのね。
でも、これって高校受験の範囲?
もし、難しいと思う子はこの先は見なくていいからね


その当時、隋の皇帝は煬帝(ようだい)という人でした。
607年、倭の王タリシヒコ(聖徳太子・蘇我馬子説があるけど、聖徳太子説が有力)が隋に使いをつかわしたの。
その使いは「海西の菩薩天子は仏法をおこすこときわめて熱心だと聞いております。そこで使いとして海を渡ってやってまいりました。それと同時に僧侶数十人が仏法を学びにやってまいりました。」と言って、倭国の国書をさし出したんだけど・・・
その中の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす。つつがなきや…」という内容に煬帝は大激怒

「今後、外国からの手紙で無礼なものがあれば、それは耳に入れるな」と言いましたとさ…。
赤字で示した部分がとても有名だから皆も聞いたことあるでしょ?
でも、煬帝はなぜこの手紙の内容に激怒したのか分かる?
実はこの手紙は言葉づかいがひどいの!
天子から天子へ書(手紙)を「いたす」となってるでしょ。「たてまつる」だとこちら(日本)が頭を下げている感じになるんだけど、「いたす」では単に「出す」という意味にしかならない。
つまり現代語に直すと「東の天皇が西の皇帝に手紙を出します、お元気ですか」ぐらいの意味。
つまりタメ語が少し丁寧になったかな?位で対等な立場の言葉づかいなのよ。
今ではどの国も対等だけど、この時代ではこれは本当にとんでもなく非常識なことだったの。
隋の考えは「中華思想」。
中華思想=「中国大陸の中心部だけが文明国で、あとは野蛮な土地であり国ではない。」
こんな考えの国だから、中国は代々「対等の外国」というものの存在を決して認めてなかったんだよね。
まぁ、そんなこんなで煬帝は倭国の無礼な使者には二度と取り次がぬよう命令したんだけど。
隋は高句麗との戦争がせまっていて、倭国を敵にしては行けないと考えたの。それに手紙を持参した小野妹子は官位を持った正式な使者であり,倭国が国として成立していることも知ったの。
それで倭国(日本)との外交を結ぶことにしたってわけ。そして,翌年,裴世清(はいせいせい)を使者として送った。
つまり隋は倭国を国家として認めたことになります。
長くなっちゃった・・・
めちゃくちゃ簡単にまとめると
裴世清(はいせいせい)は隋の煬帝の命を受け日本の国情を視察するために遣わされた。
煬帝にすれば、あのような無礼な国書を出す国がどのような国なのか知りたかったのかもね

授業っぽくなちゃった。こんなんでいいかな?
もし、この内容が良かったと思う人は指標にするのでランキングボタンを押してくれると嬉しいな


もちろん、コメントも待ってるよ
