心臓をくすぐられるような恥ずかしさがありつつ純粋に嬉しさを感じます。
さて、その前回のブログにて「大人になる」ということについて触れました。
今回は「大人」について深掘っていきたいと思います。
「大人になる」と、人は簡単に言葉にします。
節度を持った言動。良識のある行動。現実、耳にする、言葉にするのは具体的な事象に対してが多くだと思われます。
今回は具体ではなく抽象、概念の「大人になる」について考えていきます。
例に漏れず、といいつつ例が少ないので酩酊かつ主観、そしていきあたりばったりの文。悪しからず。
さて、齢27の私にも、はるか昔のように感じる少年時代がありました。
今思うと懐かしくも感じる幼き時代。皆様にもあるのではないでしょうか。
その都度、やれ「大人になれ」やれ「大人になったね」などと言われてきました。飽き飽きしますね。
不愉快にすら感じるこの言葉。決まり文句。竹馬の友から「大人になった」と言われる今の私には違和感を覚えるのですが、このブログを綴りながら思うことがあるのです。
オトナってなんやねん。と。
いつになれば大人になれますか。そもそも大人とは一体全体なんですか。
そんな疑問を抱きつつ、自分の身近な人間を想起すると、大人は急になるのではなくグラデーション的になっているのだなぁ、と。
「大人になる」というより「大人になっていく」のイメージですね。重箱の隅をつつくようで申し訳ない。
では、そんな人たちはどう大人になっていったのか。それは本人たちにしかわかりませんが、私が「大人になった」と言われる所以はなんとなく想像がつきます。
それは、タイトルにある通り、「オトナごっこ」をするようになったということです。
未確認空想架空生物霊長類ヒト科ホモ・サピエンス種オトナ。
その生き物のごっこ遊びをしているイメージですね。
日々の生活を「オトナだったらこうする」「オトナだったらこう言う」「オトナだったら……」etc、そのように思いながら生きているのです。
過日、友人たちとのグループラインでの会話がありました。それが添付されている画像です。
そもそもオトナなら画像のような会話をするでしょうか。
おそらく自分は、もしかしたら皆さんも、「オトナ」のフリをした子どもなのかもしれません。
ただ、「オトナごっこ」をしているうちに「オトナ」の振る舞いが自分に身につき、本来の自分と「オトナ」との境界線が曖昧になり気がつけば自分自身オトナになっている、とということもままあるのかと思います。
「オトナごっこ」に取り込まれた「オトナ」たち。自分の本来の部分も大切にしたいと思いつつ、その曖昧さすらと愛おしく思いたいというのはわがままでしょうか。
あいアイ愛哀I love 曖昧 life.
