テレビ東京エクセレントカンパニーで白石工業が放映された。
[白艶華工場 ]とは
下仁田町は、世界的レベルの地質学的な資源がたくさんあります。特に地質の宝庫といわれ、日本でも5指に入るほど貴重な場所と言われています。
青倉地区で忘れてならないのが「石灰岩」です。徳川家康が江戸城を築いたとき、青倉の「石灰(いしばい)(石灰を焼いて作る)」を用いたともいわれています。
青倉が選ばれた理由は、良質の石灰岩と製品の製造時に必要な不純物の少ない良質な水と乾燥に適した気候、輸送(上信電鉄)の便の良さなどでした。(~かぶら・ぶらぶら街道~HP引用)
大正3年「白石式軽微性炭酸カルシウム製造方法」の特許取得し、のちに昭和2年12月には、コロイド炭酸カルシウム「白艶華」製造特許を日欧米で取得。昭和7年下仁田町の白艶華工場の稼働と約90年あまり、今では「白艶華」はそのまま英語表記で世界中に通用し、綿々として炭酸カルシウムをグローバルに展開する企業が下仁田町にあることに誇りを抱かずにはいられない。(白艶華=白石工業(株)大正15年5月登録商標出願)
白石工業(株)100年史(白石グループ100年のあゆみ より)
白石工業(株)は、白石恒二氏(明治19年3月広島市生まれ)が、大正3年に「白石式軽微性炭酸カルシウム製造方法」の特許取得に始まる。
最初は、三重県桑名市に「桑名工場」を建設し、炭酸カルシウムを製造開始した。のちに昭和2年12月には、コロイド炭酸カルシウム「白艶華」製造特許を日欧米で取得。また昭和5年4月に「白雲石より炭酸マグネシウム及び炭酸カルシウムを製造する方法」特許取得。
続いて、昭和6年4月「炭酸マグネシウム、カルシウム製造方法」並びに「昭和6年4月第三回化学工業博覧会にて有功賞受賞」している。
そして、満を持した形で昭和7年10月群馬県下仁田町青倉に「白艶華工場」建設。白石グループの工場は、桑名工場、土佐工場、尼崎工場、肥後工場、不二工場、碓氷工場、東京第一工場、水俣工場、富士川工場とそれぞれ地域名に由来した命名をおこなっているが、群馬県下仁田町の白艶華工場は、群馬工場とはせず「白艶華工場」と命名したのは、白石恒二社長の白艶華に対する深い思い入れがあったからだとお聞きしました。
また、石灰生成では、セメント生成のように大量の二酸化炭素を排出するのが常だが、白艶華は、そのCO2(二酸化炭素)を利用した形で「白艶華」を生成し、ほとんどCO2を排出しないとお聞きした。その先進性は今でも色あせない。
また、石灰といえば、チョークやライン引きの石灰のイメージなのだが、これは消石灰(生石灰)であり、同じ石灰でも全く異次元の超微細な性質を持つ炭酸カルシウムといえる。
白艶華の品質の高さは、当初、日本国内より海外からの評価が高かった。英国のバタシューズ社長からスポーツ用2人乗り単葉機を贈呈されたり、英国ダンロップ社から特許を買いとりたい等の打診もあったようです。でもそんなことをしたら国産化の志に反してしまうので交渉に応じなかったらしい。逆に英国ダンロップ社は、その優れた品質により1933年より全社製品に白艶華の採用を始めた。
内外各界から白艶華工場の見学や視察が相次いだ。
1951年には高松宮殿下のご訪問を仰がれました。
参照資料:白石グループ100年のあゆみ(2019年11発行 発行者白石工業(株)・白石カルシウム(株)
白石工業(株)本社研究所(https://www.jstage.jst.go.jp/article/gomu1944/27/5/27_5_299/_pdf)昭和28年

