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treasure of the eccentric-camellia ハンサムメイクasa BEAUTY blog

みんなと同じじゃなくていい❤️
あなたはあなたにしかない魅力があるから。

今より自分をもっと好きになれるように、
メイクを通じて
今よりHAPPYになれる
キッカケになりますように☺️

そんなビューティーブログです。

先日ドラえもんの誕生日に37歳になったasaです。
ドすっぴんで申し訳ありません💦
穏やかなこの主人の表情が好きです😊

実はわたしの誕生日から約2週間後は
娘の誕生日でした。

そして、時系列はおかしくなりますが
8/9は結婚記念日
(今年で12回目)、
その後息子の10回目の誕生日と

asa家は主人の誕生日を除いて 
8.9月にお祝い事が続くのでした😊


わたしの源は
家族と仕事です。

近しければ近しいほど
わたしと仲のいい方には
理解して頂けると思いますが、

二大巨頭というか、
ほんまに
人生の要素を占めるものって、

多分この2つで
8割9割だと思っています。


主人と結婚し、
2人の子どもと過ごす日々が
"当たり前"になってしまった。

もちろん、
それがいかに"奇跡"であるかも承知しています。

でも
4人で居ることがこんなに息をするのと同じくらい
自然なことになっている、

というのは
10年前のわたしからは想像できないんです。

それくらい
"人生観"を変えてくれた存在。

だからこそ、
仕事にも良い影響しかないのです。


家族と仕事だけ、
みたいな書き方になってしまうと

え?人生淋しくない??
って思われるかもしれませんが、

もちろん、自分の趣味や好きなことなど
費やす時間も大事やし、大切。

でも、人生観変えてくれた存在との日々は
完全にドラマでいう
to be continued...

みたいなもんで
筋書きがないから楽しい😊


良い意味で肩の力が抜けつつある今、
自分の存在意義、
人生の使命、
今後の展開

など
明確になってきたので、
またupしたいと思います😊


最近、blogが滞っておりますが
FB...Michiyo Asa
IG...asmcy

で更新していることも多いので、
チェックして頂けたらと思います。

また密かに
LINE@もやってますー。
あれ、最後は宣伝になっちゃった笑笑



だんじりが終わり、時間が経った今なので
綴れる想い。
住んでいるこの場所。
住み始めて間もなく6年半となります。
実はもうすぐ37年の人生の中で、
一番長く住んでいる場所、となります。
高校からの20年は、ほぼわたしの意思で
住む場所を変えているので、
いかに水道筋という場所にご縁があるのか
分かります。
そこで出会えた人やモノは数知れず、
だんじりもその一つです。
だんじりとは
"岸和田"でやっているテレビの世界、
という印象でしたが、
ふとしたご縁で
この数年ここまで自分が深く
関わることになるとは思いもしませんでした。
神戸市灘区の上野地車。
屋根頭で一番の華型である
徳ちゃんが屋根を降りる、と聞いたのは
実は3年前。
当時はその彼の想いもその重さも
全く理解が出来なかったのですが、
去年、間近で見たときの彼の舞いに
何とも形容し難い感情が生まれ、
今年は密かに腹痛を催すほどの
プレッシャーでした。
でも、何より楽しみでした。
全ての巡行を終えて、
最後の舞いを時間の経過が分かる
夜空をバックにしている30数分は、
ほんまに涙が止まらず、
その場に居た人、
みんなを魅了していたのは間違いないと
思います。
そんな
後進達へのメッセージや
子ども達に憧れを残して引退した彼と
共に役割を果たした今、
反省することももちろん多々あるのですが
誇らしい思いもたくさんあります。
何より住んでいる自分の土地に
素晴らしい歴史がある、ということが
何より嬉しいです😆
わたしにヘアメイクを依頼してくれた徳ちゃん。
また、色々と教えて下さった溝尾ファミリー。
いつも側でアドバイスしてくれたあんごママ。
何より、
この機会の一番のキッカケになった主人や
巡行中は放ったらかしでも何も言わない
わたしの宝物のチビーズには感謝しか
ありません。
わたしはほんまに幸せ者だと
心底思います。
全ての方へ
ありがとうございます😊
そして、徳ちゃん。
13年間、お疲れ様でした。
最後、ほんまに携われたこと
メイクアップアーティストとして
冥利に尽きます。
任せてくれたこと、忘れません。

1年の中で皆さんにも何日か
大切な日があると思います。

わたしにとってそのうちの1つが
3月9日。

わたしの父方の祖父の命日です。
今年で丸21年となりました。
中学卒業式直前に祖父が無くなり、
穏やかな顔で寝ているのに冷たい祖父の
姿を今でもハッキリと覚えています。


また誰よりも寝る時間を惜しんで
働いていた実母が何も言わず
祖父の前で何かを訴えていた姿も
印象的でした。

祖父の亡くなる前日。
日曜だったので父の仕事を手伝いに
一日出掛けていて
帰ったら祖父の入院している病院へ
行く予定にしていたのに

しんどくなり、
また明日行けばいいや、
と思っていたら
その明日は二度と来ませんでした。

そして時は流れ、
1年半前
旦那方の祖母が他界しました。

それも帰宅途中に鳴った
携帯電話で何となく感じるものがあり、
結局、病院に着いたときには
すでに祖母は息を引き取っており、

血の繋がらない
わたしがそんな祖母の死後確認を
することになりました。

その時も
ただ眠っているだけに見えて、
遅くなってごめんね、
と触った腕の冷たさで現実を知り、
心臓が動いていないことを知りました。


そしてそれからまた少し時を経て今。
義母が目と鼻の先に住んでいたマンションから
東京の
義姉夫婦の元へ引っ越すこととなりました。

結婚する前からとても可愛がって頂き、
息子が産まれたときには
完全に頼りっぱなしで
息子はおばあちゃん子なほど。

また娘も
ばあばんちに泊まりに行く!
といつも嬉しそうに出掛けていたほど

いつもわたし達を支えてくれた義母とは
しばらく離れて暮らすこととなりました。

その中で、
一つだけわたしが口を出したことがあります。

それが
旦那方の仏壇。

わたしは産まれてから
神棚のある家に育ちました。

毎日、祖父祖母、父母の誰かが
お供えをし、
出掛けるときには柏手を打つのが
当たり前の生活で、

高校を出てからそれが無くなったのが
不思議に思う程でしたが、

また似たような生活が始まりました。
子ども達はまだ
訳も分かっていないと思うのですが

毎朝のお水とお供えは
娘がすることになり、
遅刻しかけても、
子ども達は順番に仏壇に手を合わせて
出掛けるのを見ていると、

宗教とかそういうものを超えて
家族っていいなあ、
血筋と血筋が混ざり合っていくって
凄いなぁ、
と思います。

何が良くて何がダメなのか
ちっとも分かりませんが、
仏壇があるというのはきっと、
家族を繋いでいきます、
これからも家族が繋がっていきます、

ということと
常にわたし達は家族だということを
認識出来ると思うのです。

平成も終わりかけているのに
アナログなお仏壇のままですが、
必要になれば簡素化すればいいし、
当分はこのクラシックスタイルで、

毎日、誰かが誰かを思う
家で在りたいな、と思った
今年の3月9日でした。

仏壇が来たのは、その翌日でしたけど笑。
これからも賑やかな家族で
在り続けたいと思います。


おじいちゃん、いつも見守ってくれてて
ありがとう。

母方の祖父母もありがとう。
そして、
旦那方の祖父母、舅であるお父さん
ありがとう。

わたしたち家族にまつわる
全てのご先祖様に感謝します。

わたし達は今日も元気です💕