…何でだろうな?
「明日」は誰しもに平等には訪れないそう思うようになったのは元々そういう思考回路ではあったんだけどそう思うようになった決定打っていうか大分前に1回書いたんだけど寝れない日に、少し過去を振り返ろうかまぁ単純に、そういう巡り合わせが多いだけって話ゲームの友人が、検査で心臓が引っかかって「早く診て貰いなよ?」「そうですねぇ、場所が場所なんで。それじゃまた明日」嘘ついてんじゃねぇよお前に「明日」、来なかったじゃねぇの何でこの挨拶を当たり前のようにして次の日、お前の訃報を聞く事になったんよ賢くて、視野が広くていつも余裕かましててw勿論、本人も明日が来るのだと「当たり前」のように思ってたんだろうからこればっかりは「嘘」とかじゃ片付けられないんだけど祖父もそうだったな「また明日」じゃなくて最期に交わした言葉は「おやすみ」だったけど何か、仏さんみたいな優しい笑顔だった次の日、起きた時もう二度と言葉を交わせないなんて誰が予想出来たんだよこういう経験が積み重なるともう「明日」って確約されてないんだと痛感する勿論自分の体に不具合が多くて思ってた事でもあっただからいつでも思う「今日を迎えられたら、幸運」なんだと「誰か」にとって、何て事ない存在で在りたいと気ままに「今」を自由で過ごしたいね何にも縛られる事なくさ?