今日は、何もしない日。休肝日です。
授業でロシア人のタニャと仲良くなりました。彼女は高校生。日本人である私からしてみると、欧米の方が韓国語を話しているのをみると本当に興味深い。彼らの韓国語、全部フランス語あたりに聞こえるからすごい。カッケー。
授業を終えて、近くのスーパーへ。
이거 뭐야
家に帰って寝てると夜になってしまったので1人でカメラとケータイ持って散歩へ。
いや、路上にUFOキャッチャー多くね???????wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
でもね、夜中にちっちゃい可愛らしい女の子がフラッシュたきながら写真とってたらですね、そりゃ近寄ってくる奴もいるんですよ。
おじいちゃんが。
大抵、お店の写真とか撮ると「サジンチッヌンゴッ アンデヨ(写真撮っちゃだめだよ)」って言ってきます。そのときは私は
「チョヌン フォトグラファーイムニダ、チェソハムニダ(わたしはフォトグラファーです、すみません)」
って絶対言います。フォトグラファーなんだから、許してくれって。すると大半が許してくれます。
フォトグラファー()
さて休肝日のため話題もないので、この留学への紆余曲折を綴ってみたいと思います。
この留学に行きたいと言ったとき、真っ先に反対したのは両親ではなく、母方の祖父母でした。というのも、私の祖父は太平洋戦争のとき、朝鮮に疎開しているからです。彼は未だに、『韓国』ではなく、『朝鮮』と呼び、『韓国人』ではなく『朝鮮人』と言います。
そのような家で育ってきている私は、幼い頃から自然と『朝鮮』に反感を持っていました。戦争の話になるたびに、朝鮮人はこうだ、とかおじいちゃんは朝鮮人よりずっとずっとケンカが強かった、なんて教えられたら誰でもそうなります。
だから、KARAや少女時代、東方神起が流行ったあの韓流ブームのとき、まじで鬱陶しかった。
転機は、高1です。
高校の最寄駅のコンビニで、何気なく見た女性週刊誌に、惹きつけられるものがありました。それが、今はもう大陸を巻き込む人気のスーパースターEXOです。
『朝鮮人』に対して嫌悪感を抱いていた私が、『韓国人』に対して好意を持った瞬間です。
(でもそのときヤベェイケメン!って思ったのはルハン(中国人)だったんですけど)
それからは、まあ、はやかった。
K-POPの沼です。
それなりに、邦楽も聞いてたのに、嵐や関西ジャニーズJr.、宝塚だって大好きな時期があったのに、ここまで好きがこうじて行動できたのは、『韓流文化』が初めてでした。
これからこの留学がどう評価されるかは分からないけれど、自分の評価は星5つにできるようにしていきたいと思います。
2016.08.03













