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原千晶、病状&入籍報告会見で涙 子宮がん公表は「楽になりたかった」

タレントの原千晶(はら ちあき、1974年4月27日 - )が2010年11月15日、東京都内で会見を行い、自身の病気の経緯と入籍について報道陣に改めて報告した。

体調が回復したこのタイミングで入籍し、子宮がんを公表したことについては「『公表することで(同じ病気の人の)救いになれば』とたくさんの方が言いますが、そういうきれいごとではなくてまずは自分が楽になりたかった。ビジュアルが変わって隠しきれなくなったというのが大きい」と素直な思いを語った。

 原は会場に入り、席につくと「報道や、生放送でお話させていただいたとおり、10月10日に入籍いたしました。2005年2月、2010年1月に子宮がんを患いまして、2度の手術を体験しました」と報告。2005年に病院での検診で子宮頸がんが判明し、一部を切除する手術を受けて体調は回復。しかし昨年末に子宮頸がんと子宮体癌の併発が発覚し、今年の1月に骨盤内のリンパ節の切除、子宮を全摘出する手術を受けたことを改めて明かした。

 5年前の手術では「公表する気は一切なかった」という原だが、再びの手術、抗がん剤治療を乗り越え「本当に病気が重かったこと、巻き込んだ人が多かったこと、子宮を取ったことは事実なので、自分で向き合って生きていかなきゃいけない」との思いで今回のタイミングでの公表を決意。「ずっとカツラをかぶっていて、眉毛もまつ毛もなく分かる人には分かる。今は生えて、もみあげは自分のですが、天パーのクルクルみたいになって伸びるのに時間がかかる」と今まで病気を隠してきた上での辛さを明かした。



2005年に発覚した子宮頸がんの摘出手術をした際に「完治した」と思い込んでしまい、その後定期診断から遠ざかっていたことで再発の発見が遅れたといい、番組内後半ではこらえきれずに涙をこぼした。

 原は2005年初旬、体調を崩して病院で診察を受けたところ子宮頸がんが判明。「子宮を全摘出したほうがいい」という医師の声に対し、原は「当時31歳で結婚もしてなくて、子どもを産もうとする現実とはかけ離れていたんですが、この仕事をしていながらもいつかは子どもを産むのかなと思っていたので非常に苦しみました」と手術は一部にとどめ、体調は回復し仕事を再開させた。

 その後、「痛みもなく、子宮がん特有の症状もなくなり、大丈夫だと。喉元過ぎれば熱さを忘れるじゃないですが、自分ががんだと認めたくなかった」ことから「仕事をして2年ほど経ったころから足が遠のいてしまった」と悔恨の念を告白。「もう大丈夫だと思っていた」体調に昨夏改めて変化を感じたが、「恐怖」でまたもや検査を「ちょっと怖くて先延ばしにしてしまった」という。

 昨年末、今度は子宮頸がんと子宮体がんを併発していたことが発覚。医師からは「どうしてこうなるまで放っておいたんですか。あなた死にますよ」と言われ、即手術に。1月13日に子宮を全摘出したが、転移がみられなかった卵巣は「自分の意思で」残した。その後は抗がん剤治療を6クール(4~5か月)続け「脱毛や倦怠感、抗がん剤の怖さを体感した」という。


原発が、子宮頸がん。それを、子宮摘出を薦められたのに、子宮筋腫核出術は、子宮の正常な組織を残し、筋腫のみを摘出という方法で手術したと。その後のフォローが、適当でなく、5年で再発。ということだが、5年あいておれば、再発といいにくいかもしれない。

卵巣温存であることから、ホルモンの影響も有ろう。どちらにしても、5年後に再発で、子宮頸がん、体がんの両方があれば、子宮摘出はやむなしか、リンパ郭清も行われた模様。

今現在も、卵巣温存であろうことが、疑問かもしれないが、抗がん剤治療、放射線治療も施行されている模様。(11/20追記 放射線治療はないそうです。そうだろうと思います。一応、残存の固形腫瘍がないので、放射線を当てる場所あるのかなと思います)

さあ、フォロー検診の大切さがクローズアップされるか、子宮頸がんワクチンの推進力になるのか?
サバイバーとして、今後の動向が注目される。三原じゅん子議員も子宮全摘出であるけれども、年齢が
スコシ違う。(現在 原36歳、三原46歳)

原発で、原千晶が31歳というのは、年齢的に 子宮摘出を考えにくいというところであろう。

体調でわかるということは、自覚症状があったのに、検査しなかったということだ。

時事通信さんが動画をUPしてくれました、こちら

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