一昨年の夜、祖父が死んだ。
祖母が亡くなった後、認知症具合や持病(前立腺がん)とか一気に進んでいたし、骨折もしてたから、前立腺がんの悪化で再入院した時には、その一年持つか否かの状態だった。
まぁ、何とか2017年は持ったけど、さすがに次の年は持たない事は分かっていた。
持病が骨まで転移する等して食欲も落ちていたから、今月持つのかすら分からなかった。
でも、これだけは分かっていた。
今年は『絶対に持たない』と。
去年から覚悟を決めて過ごしていたし、割り切っていた。
そして、亡くなった。
やはり、亡くなってから実感する事が多い。
あれこれやってれば良かったと思うことが。
でも、もう遅い。
これは言い訳。
死んでから言う事は、何もかも言い訳だ。
死んだ者は生き返らないし、返っても来ない。
受け入れれない者への言い訳。
だから、私は距離を置いた。
ただでさえ、不安定気味の精神を持つ私はこういう対処しか出来ない。
現場に居たら、私は帰ってこれないだろう。
そのショックのあまりに。
愛犬と共に家に居た。
でないと、私は保てないだろう。
でも、死んだことでまた新たな仕事が増える。
まだ祖母の遺品整理もやっている最中に祖父の死。
これで一つの仕事が増える。
空き家となる家の問題等、やる事為す事が多すぎ。
特に問題は家をどうするのか。
私が住んでいる場所から徒歩5分くらいで行けるから、母はそちらに住むつもりらしい。
とりえあず住む前に、大量に残っている遺品たちをどうにかしてからだな。
他に祖父母の家はネットが接続されていない。
その為、PCでインターネットも出来ないし、BSで見れる番組が超限られている。
これをどうするつもりでいるのだろう?
今更繋げてもなぁ・・・という感じなのだが。
お悔やみの言葉は要らない。
90過ぎたばかりの人が死んだのだ、大往生だ。
長生きしても祖父母たちは辛かったようだ。
親しくしていた友人たち、兄弟たちを先に亡くして生き残る。
ちょこちょこぼやいていたから、それはそれで悲しかったようだ。
長生きとは考えもののようだ。
これで一通りは終わっただろう。
この死期の通りが。
私は、一つの山を越えれただろうか。