「あとどれくらいですか?」

医師は答えてくれないとわかっていても

聞かずにはいられなかった。


小細胞肺がんはタチが悪く

進行は早い、これくらいの情報

医師が告げなくてもすぐにわかる。


先生はわかっているはずなのだ

ワタシが調べていることを。


なのに、「大丈夫ですよ」としか

言わない。

何が大丈夫なのだ?


寝たきりになってしまっているのに、

あんなに体力低下にてるのに、

小細胞肺がんなのに。


ワタシたちがん患者の家族にとって

先のみえないものほど怖いものはない。


介護するワタシたちにとって

先のみないものほどツライいものはない。


あいまいすぎる医師にもほどがある。

医師には現実を患者・家族に伝える

義務があるはずだ。

小細胞肺がんは抗がん剤に反応し

よく効く。

しかし、効く=治る ではないのだ。

そのことを理解するまで時間がかかった。


主治医から説明があいまいだったからだ。

たしかに先生は「抗がん剤を打てば治ります」

そう言ったのだ。その時はその言葉を信じるしかなかったし

情報を集める時間がなかった。


たしかに父の中のがん細胞は11度の抗がん剤により

CTにも映らないぐらい縮小した。

これは医学的には「奏効した」になる。


しかし、縮小したということは裏返せば

残存しているということである。

その残存したがん細胞は11度の抗がん剤に耐えた

強者である。

その強者がリベンジを始めだす。

耐性とスピードを増して・・・


1年近くの化学療法で縮小したがん細胞は

3か月で元の大きさに戻る。


もうすこし、早くに化学療法を中止していたら

父の時間はもっと有意義なものになっていたのではないだろうか?

寝たきりになってもなお抗がん剤を打ち、治る見込みがないと

わかっていながら抗がん剤を父の体に入れた医師。


見るに見かね、考えに考えた挙句、

先生にお願いしたことがある。8回目の抗がん剤が入る時だった

「もう、抗がん剤止めてください。父はしんどい思いばかりです。」と。

すると

「今やめてしまうのはもったいない。腫瘍マーカーは下がってます」

と先生はマスクをしたまま、パソコンを見たままそうワタシたちに告げた。


涙が出た。

先生は腫瘍マーカーの数字は見ても、患者を看ていない。

苦痛を取ろうとしてくれても、心の苦痛を理解しようとしていない。


抗がん剤に耐性があることを知ったのは

ワタシが色々と本を読んだからである。

先生から抗がん剤に耐性があることをワタシたちに

教えてくれたのは10回目の抗がん剤治療の時である。


ありえない。


「いつになったら治るん?」

とワタシに問う。

なにも言えない。


ワタシも父も抗がん剤を中止すれば

もっと楽になると思ってた。

リハビリをすれば歩けるとおもってた。


以前は倦怠感があっても、体力が

低下しても抗がん剤の副作用だから

仕方がないって言い聞かせてきたけれど

抗がん剤を中止して3か月たった今、

痛みも、体力低下も、神経症状も

すべてがんの進行によるものである。


それを父に伝えることができていない。

けれど、きっと気が付いているね。

もう治らないとわかっているね。


だからこそ、「いつ治る?」と

聞いてくるような気がする。


がんとの闘いは死の恐怖との闘いである。


命の砂時計がどんどん落ちていく・・・