光明電気鉄道にあった駅がきさらぎ駅のモデルになってたんではないかと何だコレミステリーから推測しましたが、テレビで紹介された匂阪駅では
実は無いんではないかと思い
磐田市歴史文書館の主任研究員Sさんを訪ねました。
Sさんに疑問をぶつけ
2時間弱にも及ぶ時間を割いて頂きました
平松駅は昭和初期の私鉄しかも
完全電気化鉄道としては地域最大のものであったというもの
何だコレミステリーでは
きさらぎ駅とされてた
匂阪駅跡地
主任研究員Sさんは
過去画像に残る看板を設置した人物を知るそうです
平松駅遺構がのこった理由は涙😢なしには語れません
かつての駅は両端はコンクリートで硬め
なかは砂利や土だったそうです
GHQ統治化を経て左読みになりました
大谷隧道
光明電気鉄道は
最後まで北陸日本海を目指しました電気が止められ廃業するその日まで
大量の負債を
遺した光明電気鉄道の残務整理は昭和54年位迄続いたそうです
債務整理に自殺者も出ました
6年の運行期間で5人の社長交代
電車🚃経験0の
関東東急西武のお古車両を借りての運行
恨みが怪異に変わるのは当然