前回のblogで
昔の母とのやり取りを書いて
先週末、用事があり
実家に帰ったら
とあることから
過去の蒸し返しにあうという・・・
まぁ、ありがちですよね
と、自我は思うわけで
昔の母とのやり取りを書いて
先週末、用事があり
実家に帰ったら
とあることから
過去の蒸し返しにあうという・・・
まぁ、ありがちですよね
母は、もう高齢なので
過去のことは忘れた~
というのなら、まだよいのだけど
私がそんなことをするはずがない!
(認めろ‼️)
と主張されるとは 
それは、母の厳しい対応で
自尊心の欠片もなかった私が
いろいろ思い悩んで
やっとやっと人生を肯定できたのを
全部自分の想い込みでした
全部自分の勘違いでしたと
認めてなさい!
と言われているようなもので
それはさすがにしんどい 
と、自我は思うわけで
その反面、もう1人の自分は
「そうきましたか~」
と、思ったりするという・・・
けど、かなりしんどいわけで
自分なりの落とし所を見つけるのに
結構時間がかかりました
そして母とのことは
もう子ども頃から長いこと
影響を受けてきたわけで
そう考えると、この出来事は
最終段階に来たのかな?
とも思えました
往復1時間歩いて
実家の氏神様に参拝しに行きました
帰りに吹雪いて寒かった~ 
スピリチュアル的に
自分の思考が現実を創っている
というのなら
母が私に
自分の思いを認めなさいと
いうのなら
それは私が母に
自分の結構大変な思いをしてきた過去を
理解してほしいと思っている
エネルギーが返ってきている
ということなのだろうと
現に母は、言い合いの中で
悪かったと言ってくれたのに
私は「そんな簡単なことじゃない!」
とイライラしたのは事実だし 
平たく視れば
お互いに自分の気持ちを主張してる
だけなので
流れ(出すエネルギー)を変えないことには
どうにもならないなぁと
気づいたわけです
で、少し前に見つけた
母からもらったのを
すっかり忘れてたネックレスを
着ける度に
「生んでくれて、ありがとう」
と感謝を口にするようにしてみました
それが母に届く
というのを期待しているわけではなく
自分が母に感謝できるように
まずはなりたいと思ったから
快く過去を手放すこと考えたら
感謝以外に思いつかなかった
それに、どんなことがあっても
生まれてこなかったら
この人生はなかったから
そこだけは間違いなく
心から感謝できるなと思ったので
母と言い合いになったことは
本位ではなかったというか
年老いた母に
どうにもならない過去の気持ちを
ぶつけても仕方ないと
ずっと思っていて
言うこともないだろうとも
思っていたのだけど
言わざるを得ない状況になり
母を傷つけることにはなったけど
吐き出せたことで
自分から違う流れにしようと思える
心の余裕が出来たので
ありがたい出来事だったのかな
とも思いました
めっちゃ疲れたけど 
友だちがこの話を聞いてくれた
1人で悶々とするよりも
ずっとずっと心が軽くなった
ありがとう 
明日から、ちょっとだけ
沖縄に行ってきます~ 

