上海(浦東-プートン-)から乗り継ぎの飛行機は、上海で雨が降ったため1時間遅延。

マレーシアの国際玄関口、KLIA(Kuala Lumper International Airport)内には

接続設備としてお手ごろな宿泊施設があるのだが、初めての空港だし、広いし!!!


KLIAのホームページをリンクします。


マレーシア航空によるKLIAの紹介。


1998年開港。最期は政治を志していた建築家・黒川紀章さんが

ターミナルビルを含む全体計画を設計し、本館を大成建設、

サテライトを竹中工務店が施工したという日本に縁の深い空港です。

ですからマレーシアに行ったことのない方でもKLIAについて

ご存知の方がいらっしゃるかと思います。

空港好きの方は、一度行かれると面白いと思います。


私が空港を一言で言うと、『でっかい宇宙のたまご』ですかね…。

少年サンデーで10年以上前に連載されていた、ゆうきまさみさんの

マンガ『機動警察パトレイバー』の世界観、とでもいいましょうか。


ちなみに本当のコンセプトは『森の中の空港、空港の中の森』

とのことです。

たしかにマレーシアはゴムの木をはじめ、深い緑の森や山が多い国です。



真夜中に到着して疲れていたこともあり探しきれず、結局KLIAにつながっている

パンパシフィックホテルに泊まる。1泊が1万3千円位だったはず!!高い!!

よくあります。個人旅行できる、とキバっていながら割高になってしまう愚かさよ…。

広いダブルベッドに一人、寝転んで寂しさ噛み締めましたとさ。


ボディーローションやシャンプーを1ヵ月半分は持ってこれなかったので、

ここの宿泊した部屋からあらかたがめてきた、と記録にはあり。


翌朝、無料も朝食バイキングを朝9時の閉まるギリギリですべりこみ、

フルーツやらパンやらを食べる。天井がやたらめったら高いホールで、

客は私ほぼ一人、サーヴするオネイちゃんオニイちゃんは何人もいた気がする。


その後、苦労して空港のバス停を探しだし、

首都クアラ・ルンプール中心街へ向かいます。


長くなるので、2004年7月13日の記録を2つに分けます。

その2へ続く!!

成田空港。

『グリーンポート成田TV』という成田空港専用のテレビ番組を見ている。

タヒチのボラボラ島、空港サービス、空港内のショップやリフレクソロジーを

紹介している。私は出発時間までそれを見て、時間をつぶした。


B75の搭乗口に、集合1時間前に着く。

当然人はほとんどいない。

私はバックパックを頭に寝転んで、

興奮による睡眠不足を解消しようとした。

ガラス張りの空に、JALの飛行機が飛び立っていく。

思わず「いってらっしゃい」と、空につぶやく。

上海経由なので、徐々に中国語を話す人たちが

搭乗口に集まってきた。



このとき、私は24歳。

これから1ヵ月半の一人旅が始まる。

旅の詳細は未定。

最初の目的地はマレーシアの首都、クアラルンプール。

書きなぐってある当時の日記を見ると

「30歳までには30カ国を巡りたい」とある。

実際は、その半分だったな。



18:05 PM

トランジットのため、上海国際空港(浦東)に着く。

一度入国するため、カウンターで長く並んだ。

その後、空港内をウロウロするためのものか、

何かのチケットをカウンターの兄ちゃんに発行してもらう。

中国語、きちんと覚えたいなあ、と実感。


浦東空港内探索。

驚いたこと4つ。


①空港内レストラン近くで、サンドウィッチを運ぶ兄ちゃんに

愛想よく中国語で話しかけられる。

愛想よくされたから、愛想よく黙ってにこっと笑顔を返す。


→中国人に間違われただけ。


②公衆電話に液晶画面がついている。

企業CMなどが流れている。


③ベンチ向かいに座っている4~5歳の男の子の仕草が、

子どもではなく「男」だった。

日本の子どもはあんなに大人びていない。

ここで見た男子の髪型は大方、

坊主頭に前髪を一部分だけ伸ばしたもの。


④私はベンチで上海女性に囲まれている。

すげえ元気。私と同じく飛行機を待っているのだろうが、

いきなり生キュウリをボリボリと食べだした。生トマトもいる。

砂糖をまぶした杏のドライフルーツが出てきました。

ケンタッキーのカツバーガーもいる。

女性の髪形は日本の80年代に流行ったような

茶髪の超ロングストレート。


口論のように、談笑している。

「マレーシア」…この国の位置をパッと言い当てられる日本人は少ない。

ゆえに、この国の首都をパッと言える人もまた、少ないのではないか。

タイの下、もしくはシンガポールの上にある国、と言えば

「ああ、あの辺りね」といった納得を得られる、ことが大概か。

マレーシアの有名なもの、と言われてもピンとこない。


そんなマレーシアと私のつながりは、6年前の2003年に遡る。

当時は「氷河期」。大学四年で就職活動中だった私は、

出版社をめざして履歴書を百枚以上も郵送したが、

一次面接以降も電話をかけてくれる会社はなかった。

ところが卒業後の進路も未定だった3月末に、

「ぜひ来てください」と言ってくれた奇特な会社があった。

マレーシアにある国営石油公社『PETRONAS』傘下の専門商社。

その日本支社は横浜にあった。卒業後もレストランのウェエイトレスで

時給900円の暮らしはなんとも格好がつかないと感じていたので、

希望する出版社ではないものの、好きなアジアの国の企業だし…と

そこで働くことを決めた。


「あなたの上司です」と紹介されたマレー人は、浅黒い肌で肩幅も

がっちりとしていたが、身長163センチの私より背が低かった。

目がクリッとした可愛らしい印象の男性だった。

15歳で国費留学生として日本の岡山に来たらしい。

大学卒業後はマレーシアの企業に就職したが、

日本への輸出貿易担当となり日本にまた渡ってきた。

彼は、ほぼ完璧な日本語を話し、カラオケで北島三郎の

「与作」を歌って、同僚や取引先の日本人を笑わせていた。

イスラム教徒の彼は、昼の2時頃には「お祈り」だと言って、

毎日顔や手足を洗って備品倉庫に衝立を立てて引っ込んでいく。

そうか、マレーシアはイスラム教を国教としているんだ、と横浜で実感する。

イスラム教と言えば、メディアを通して伝わるブッシュ大統領の偏見を

交えた危険なイメージばかりだった。けれども親切な上司や同僚が

私のイスラム教のイメージを変えた。


働けば働くほど出てくる、マレーシアの不思議。

どうやら日本には無くなった「爵位」のようなものが存在するらしい。

それはマレーシア社会で結構な力を発揮するらしい。

マレーシアはマレー系、中国系、インド系の主要3民族で成り立つが、

マレーシア国籍の中国人はいくら有能でもスムーズに出世できず、

マレーシア国籍のインド人は頭の回転が速いために疎まれるらしい。

私も実際にこれらの現象を仕事を通じて目撃してきた。

そして会社を辞めた後、1ヶ月間マレーシアの全11州を放浪する旅に出た。

いろんな人に出会った。いろんな景色を見た。

日本ではあまり知られていないマレーシアの一部を、

おもしろ可笑しくご紹介いたします!!