【タイからの帰国】 (2020年4月)
前回からの続きは、現地でコロナショックを実際に体験した妻自らが綴ります。
1ヶ月の滞在期限が切れかけ、延長が必要になっていましたが、滞在していたパタヤも間もなくロックダウンということで、私と息子は2020年4月8日にタイから帰国しました。タイ滞在の1ヶ月間、息子はホテル内で手持ちのiPadでオンライン授業を受け、ロックダウン当初は授業もまばらで1日2~3コマの授業でした。パタヤ滞在中は、同じ学校の日本人留学生のご家族に大変お世話になり、何事もなく生活しておりました。帰国にあたっても、空港までのタクシーの手配の仕方や色々ご指導頂きました。空港はガラガラで、免税店も閉まっており、物々しい雰囲気でした。
無事に日本に着陸すると、機内で30分程待機した後、指示に従って通路を出て待合室に集められ、用紙を配られてこれからの流れの説明を受けました。通路は間違えて他に行かないように要所要所にスタッフが立っていました。説明の後、部屋を出ると通路がパーテーションで区切られていて、白い防護服に身を包んだ自衛官がPCR検査をしてくれました。その後長い列に並び、帰宅方法と自宅待機を確認後、晴れて入国審査に辿り着き、そこからは通常通りの流れでした。恐らく、この時期に貧乏旅行者のようなみすぼらしい格好の入国者は私達だけだったと思います(当初は3泊4日の簡単なタイ旅行の出で立ちだったので…)。そして、夫が車でピックアップしてくれて自宅へ戻り、労をねぎらった後、その夜はお寿司を取りました。期せずして4ヶ月ぶりの早い再会となったのです。自宅隔離の2週間の間、祖母と友人家族が会いに来てくれましたが、まだPCR検査の結果が出ていない身分なので、窓越しの再会、そして
「目の前にいるのに電話でのトーク(笑)
」。
【日本でのオンライン授業】 (2020年/息子中1~2021年/息子中2)
息子はそのまま日本でマレーシアの学校のオンライン授業を受け、試験もオンラインで受ける等、体制もかなり整って来ました。オンラインの対応を見る限り日本よりかなり進んでいると感じました。ただ、息子の学校はあくまで私立であり、私の知り合いのインド系マレーシア人の息子は公立の高校なのですが、息子の学校ほど体制が整っておらず半日しか授業がなかったそうです。
そして、2020年は教科書を全てマレーシアに置き去り状態だったので、インターネットを駆使して教科書をプリントアウトしたり、現地の学校のスタッフと家族のサポートが欠かせない状態でした。オンライン試験については、マレーシア側もそこまで慣れていないのと、ネット環境の問題等があって、初日に必ず色々トラブルが起こるので毎回ハラハラしながら息子を見守っていました。
2020年末には学校が教科書を送ってくれて、中2からは教科書で授業できるようになりました。教科書代が3~4万円、送料が2万円もしました。学校の職員のフォローが素晴らしかったです。かなり手厚いサポートをしてくれました。後で分かったことですが、学校のサポートというより職員である彼女の個人的な尽力によるものだったようです。私は染み染みと「彼女がいなかったら2年もオンライン授業は耐えられなかったと思う。」とつぶやきました。それだけ彼女のサポートが留学生の身分である息子と私達家族に貢献していてくれていたのだと、彼女の素晴らしさを実感しました。そう、我が家の中で彼女は
「救いの女神」
なのです。彼女は日本語を学習しているので、出来る限りサポートしたいと思っています。
年が明け、息子は無事に中2に進級できました(息子が通うマレーシアの中華学校の新年度は1月から)。オンライン授業も充実しましたが、クラス替えもあり、全く顔の知らないクラスメイトばかりで私は息子を心配していました。息子の学校は担任やクラスメイト達とWhats App(日本のLINEのようなアプリ)でやり取りをしていますが、息子はスマホを持っておらず、私のIDで参加しており、かなり不便でした。グループ発表などというのもあり、ヒーローについてグループで纏めるというものがあり、WhatsAppでのやり取りだったのですが、ちょっとした私の勘違いで息子は2つのグループに入ってしまったというアクシデントもありました。そんな中、日本からの留学生は息子1人だったこともあり、興味を持ってくれた子と少し打ち解けることができたようでした。息子はマレーシアにいた時は寮生活だったのですが、日本人を珍しがって上級生に可愛がってもらっていたようです。こういう時に、
「日本人
で良かった!!!」
と実感します。みんなアニメやゲーム=日本という感覚ですからね。サブカル万歳です!!!
年末に文系、理系とクラス分けが行われ、基本学校が決めるのですが息子は最後のテストが芳しく無く文系に振り分けられましたが、理系を希望したので学校に手紙を書き、理系に入れてもらいました(意外と融通が利くようです)。
【2年間ほぼ引きこもり生活】
息子は2年間ほぼ家から出ない生活を送っておりました。本人は全く気にしていなかったようですが・・・。むしろ外へ出たくない節がありました。気晴らしに食材の買い物に誘っても100%断られ、ウォーキングやランニングを促しても全くしませんでした。しかし、成長期とは凄い。この2年ですくすくと成長し、牛乳は1日1本近いペースで無くなり、小学生の頃は肉もほとんど食べなかったのが、肉を食べるようになりました。変声期を迎え声が低くなり、身長も私を抜かし、夫に追いつく勢いです。元々引っ込み思案な性格でしたので、家から出ない生活も全く苦にならなかった様子でした。コロナが落ち着いている時期には、家族同士面識のある息子の友達と実際に会って遊んだりすることもあり、後はオンラインで友達と遊べる状態なので、息子としてはそれで十分だったようです。
【次々と辞めていく留学生】
息子の通う学校の留学生数は、コロナ前は160~170人で、割合は多い順に中国、タイ、インドネシア、その他といった感じです。当初、日本からの日本人留学生は息子1人(初めての日本からの留学生だと思われる)でしたが、タイからタイ人と日本人のハーフの姉弟(日本語はほとんど喋れない)とタイ生まれの日本人の男の子(いずれも息子より1~2学年上)が同時期に入学しました。保護者の方も気さくで日本人は1人だと思っていたところ二家族も日本人がいて、これは長い付き合いができそうだと、私も楽しみにしておりました。マレーシアのロックダウンにより、ほとんどの留学生は帰国しました。2020年夏には、タイ-日本人ハーフの姉弟が学校を辞め、タイの学校に入ることを決断しました。私はかなりショックを受けました。2021年春には、多くの中国人留学生も学校を去ったそうです。2021年夏、一番仲良くしていたタイ生まれの日本人の男の子も学校を離れる決断をしました。タイのインターナショナルスクールに入るとのことでした。同時期に、息子と寮でルームメイトだったタイ人も学校を辞めました。
「一人、また一人、そして誰もいなくなった。」
…みんな去って行きました。ふと頭をよぎるアガサクリスティ。まさに驚きと悲しみの状態でした。後日、マレーシアに戻ってから、学校の先生に聞いたところ、今残っている留学生の人数は30人位と言っていました。ほとんどがこの2年で別の道を選んだようです。
【オンライン授業を振り返って】 (2022年/息子中3)
今現在、マレーシアに戻り実際学校に通っている息子がポロリとこぼしました。
「やっぱり実際の授業はいい。
オンラインは分かりにくかった…。」
多分これが答えなのでしょう。まだまだ実際の授業には及ばないのです。オンライン授業中の息子の態度を見ていればそれは分かります。しかし、この2年間をもったいなかったと思っているものの、無駄ではないと思っています。皆が成長しました。思惑とは違った方向での成長かもしれませんが、マイナスではありません。プラスは出ているのです。2年前、寮に入ってから、毎日学校が終わるとすぐに泣きながら私に電話してきていた息子が、今では飄飄と学校に通っています(現在は寮ではなく、コンドミニアムを借りて一緒に住んでいます)。とてつもない成長を感じました。まだまだ引っ込み思案で自分の意志をはっきりと伝えるのに苦労しているようですが、少しずつ確実に成長しています。
私達がなぜ、息子に中学からの留学という道を選ばせたか…それは、私達自身が大学時代に留学を経験し、そこで得たものが大きかった事に由来しています。自分達の人生を振返り、もっと多感な時期にその経験をしたかった、という思いが込められています。息子の人生ですので、この先の選択は息子に任せますが、この日本では味わえない異国での日常、世界に息子を放り込んだのは、私達ができる最大のプレゼントであると考えています。この経験が将来息子の糧となることを願っています。
教訓:
1.やはり「可愛い子には旅をさせろ」です。(人生は経験が全て!)
2.一度決めた道は貫き通すことが大事だと思っています。
臨機応変も大事ですが、コロコロ変えていては結局何も身につかないことが多いように感じます。
困難は誰の身にも必ず降りかかってきます。その時に如何に乗り切るかがまさに良い経験となり、人生の糧になるのだと思います。
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