ここは弥生時代の遺跡で、邪馬台国の女王卑弥呼がいたとされる場所。
今は奈良県にもいたとされる説があり、専門家の意見は分かれているそう。
あまりの寒さにミーナも普段はめんどくさがって身につけようとしない
ニット帽と手袋を。
敷地はとても広く、たくさん歩きました。
チケットを購入後、ボランティアガイドさんに連れられてさらに歩いていきます。
ガイドの方が弥生時代の服装をしているのもポイント。
きっとリタイアされた60歳以上の方ですが、遺跡に対する知識も豊富で
気合いが入っています。
100歳の祖母はこの大きな敷地ゆえ、車椅子を借りました。
そもそもこの2泊3日の温泉旅行自体、本当に来て大丈夫なの?
という思いもありました。
2011年2月には福岡から深夜便でバンコクに来た祖母。
↓ ↓ ↓
あの5日間も十分に奇跡的だと思っていたのですが・・・。
もう一度、タイで象に乗りたいとか言ってるし。ヽ(;´ω`)ノ
2012年、101歳の祖母、来タイなるか?というところが正念場。
さて遺跡の周りにはお堀が。
これは外部からの敵に攻め込まれないようにするための
国家戦略だったのだとか。
そしてさらに奥まで歩いていくと、歴史の教科書によく載っている
この高い、塔のような建物は高い場所から敵の動きを見極めるために建てられた
監視塔だったそうです。
竪穴式住居も複数あり、それぞれが女性と子供の住居、
例えば、女性と子供の住居の中に入ってみると、
髪を結っている女性たちの人形や
配膳のためのテーブルやお皿も展示されていました。
この監視塔と竪穴式住居のエリアは1人の王が収めていたエリアで
その部下である大人(たいじん)とその家族が住んでいたとされています。
そして、もうひとつ。
この塔は当時30以上もいた王たちを束ねていたとされる
邪馬台国の女王卑弥呼がいたとされる塔です。
中に入ると、王と大人(たいじん)や村長(むらおさ)が会議をしている様子が
再現されている場所がありました。
そしてその上の階には祈祷師が神からのお告げを受ける様子が
再現されています。
卑弥呼がいた場所が奈良県という説があるためか、
説明文には「これが卑弥呼です」とはあえて書かれていませんでした。
多くの国王たち同士の争いが絶えなかったその時代に、
祈祷師である女性(卑弥呼)を女王にしたらどうか、
というアイディアが出たそう。
そして実際にその祈祷師を女王にしたら、とたんに国王たちの争いも終わり
邪馬台国として国が一つになったというのです。
タイ人である夫は、
日本のトップがかつて大昔は女性だったということに
とても驚いたようでした。
私たちも日本史で邪馬台国・卑弥呼は必ず勉強しますが
それほど深く考えたことはなかったのではないでしょうか。
去年から女性首相インラックを立てているタイ。
その他の国でも女性首相の姿を見ることはそこまで珍しくない時代です。
調べてみたら実に
20数カ国が女性首相を擁立したことがあることが分かりました。
日本ではまだ、女性首相は生まれていません。
しかし毎年のように首相交代を続ける日本。
これから女性首相の時代も来るかもしれません。
そんなことまで考えさせられる吉野ヶ里遺跡なのでした。
続く。
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