カンチャナブリへの旅、第5回目の今回は・・・戦争博物館内についてです。
第二次世界大戦中に行われた、この鉄橋建設。
現場となったカンチャナブリの戦争博物館では、いまもなお、
当時の様子を再現する人形や日本軍の使用した様々なものが
展示されているのです。
日本軍が使っていた車です。
これは貨車のようなものでしょうか。
バイクにも、日本の国旗とJAPANESEと書かれています。
こちらはふんどし一枚で鉄橋作りを強要される連合軍の捕虜たちと
それを監督する日本軍の兵隊の様子を再現したものです。
捕虜はほとんど裸、日本軍は制服、という姿が
立場の違いをくっきりと浮かび上がらせています。
大急ぎで建設が進められ、ほぼ1年で完成に持っていこうとしていたそうです。
なぜなら、日本軍にとってはこの鉄橋こそが、ビルマ侵略への手がかりとなるものであり、
自分たちの「強さ」を示すものでもあり、早期完成が重要な課題だったから。
そしてあるとき、アメリカ率いる連合軍が完成前の鉄橋を空爆により、破壊します。
当時の空爆と逃げ惑う人々の様子を再現した模型と絵がこの写真です。
そのとき、同じ連合軍側の捕虜たちも多くの人が建設途中であり、
自らの仲間によって、命を落とすことになった人々もいたのだとか。
イギリス人、ドイツ人、を初めとして、その他韓国人、シンガポール人などなど、
アジア系の人々(当時日本がすでに攻略していた国と思われる)も多かったようです。
この後も博物館の様子をお伝えします。
続く。
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