いろいろとコメントやメッセージ、本当にありがとうございます。こんな状況ですので、励まされました。


バンコクに住んでいらっしゃる方は同じような辛いお気持ちでいるのだと思います。


それ以外の場所に住んでいらっしゃる方も、バンコクになんらかのつながりがある方も


そうでない方も、きっと遠くからでも誰かのために、辛い思いや不安な思いをされていることかと思います。



昨夜は信じられないほど、そして気持ちが悪いほど、静かな静かな夜星空でした。


夕食の時間あたりから、急に頭痛が始まって、ただでさえも、さまざまなことが


一気に起こりすぎていて頭が回らないのに、ますます頭が回転しないという、情けない事態に。


突然の停電、不測の事態が起こるかもしれない慢性的な不安感、そしてミーナをどうやって守る?


という親としてのプレッシャーに、相当ストレスを感じていたようです。


いっそ、夫にしがみついて大泣きしてしまえばいい、と思うのですが、泣くっていったい誰のために?


バンコクをこんな事態にしたデモ隊にも治安部隊にも、涙一滴もあげたくないよ。


それに泣いたって何も解決しないと、分かっているからこそ、泣きたくはない。


だから、全てが終わって、本当の本当に終わったら、きっと私は泣くかもしれない。


そのときまでとっておこう。今はまだ事態の真っ只中だから。



昨夜の会社からの連絡網で木・金曜も出勤ナシが確認されました。


出勤は月曜以降で。同僚の「今、無事?」の言葉が、これほど胸に刺さってくる言葉とは


思わなかった。私たちの今の状況は、まさしくまずは相手が生存しているか、確認することにある。


緊急連絡網なんて、いつも練習ばっかりで、バカバカしかったけど、今、本当に緊急連絡網が活きる


このバンコクの事態に改めて、ため息が出る。


自宅周辺の黒煙とか、停電のこととか、同僚にも一気に話したくなったけど、


誰もが危険と隣り合わせな状況だから、自分たちが体験したことなんて、


ちっぽけなものかもしれないと思ったら、そんな体験話より、今はとにかく必要なことだけを話して、


と用件だけ話して電話を切りました。


夫もインターネットやTV、そしてラジオからも、あらゆるメディアから情報収集し


タイ語・英語・日本語の3種類の言語とメディアで、それぞれ使われている映像や


ジャーナリストのメッセージの微妙な差異を読み取り・・・。


タイ語のTVチャネルでは放送されないような映像も中東系のアルジャジーラなら


放送されていたりするんです。かつて唯一、中東でテロ活動地域での取材を許されたTV局として


日本でも大きく取り上げられたことのある、あのアルジャジーラです。


アルジャジーラは英語なので、タイ語のニュースは100%理解できない私でも視聴OKですし


中立的な報道に思えるので、かなり頼りにしています。



午後10時。頭痛はどんどんひどくなり、ついにダウン。ミーナと夫を残してベッドに寝込んでしまいました。


そして寝ていても、意識がはっきりとしていて、そして頭痛がはげしすぎて、眠れないんです。


ずっと頭痛と闘いながら、ベッドに横になり、


ミーナをあやす夫の声、ミーナのうーうー・あーあーを聞いていて、


ごめん、ホントに今は起き上がれない・・・。



午後10時から、深夜1時半まで、ひとりでミーナのお世話をしていた夫もついに


疲れきってベッドに転がり込んできて、私が眠れない、頭痛がまだひどい、というと


自分も疲れ果てているのに、頭をマッサージしてくれて。


夫には心から寝てほしいんだけど、あまりにもマッサージが必要なわたしは甘えきって


マッサージを数十分もさせていたのではないか、と。半分寝たような感じだったので


どれだけの時間マッサージしてもらっていたのか、ほんとは分からないのですが。


ふだんもやさしい夫なんだけど、こういうときは、身にしみて、彼の優しさを感じる・・・。


そして夫の腕で腕枕して寝たら、ひとりで寝るより、すぐに眠れたのです。


深夜3時。少しだけ寝れたけれど、今度はミーナが起きた。授乳開始。


まだ頭痛は続いていたけれど、起き上がってミーナの相手をして、寝かしつけて、また寝る。




・・・明日はどんな一日になるんだろう。




恐ろしいほどの静寂の中で迎えた朝。まるで深夜のバンコクでは、何事もなかったかのような。


午前6時に解禁となる外出禁止令後も、デモ隊の一部は街中で破壊活動を繰り返しているという。


結局、今日も自由に外出できない。


どこにいくにも、危険が伴いそう。


セントラルワールドの一部が燃えて、焼けて、そして崩壊するなんて、


と再び昨日のニュースを思い出す。


2003年、初めて私がバンコクへ一人旅したときは、かつてのワールド・トレード・センターが


そこにはあった。夫とシンガポールで出会い、2004年からバンコクへ再び来るようになった。


2006年には新しく出来たというこのモールを見て、バンコクの発展に驚かされた。


アジアの都市のパワーを、ひしひしと感じる巨大ショッピングモール。


それが、タイ人のデモ隊により破壊されるなんて、その時は誰が予想できたというのでしょう。


悲しい、なんていうシンプルな言葉を使うことも、何か違う感じがする。


ふさわしい表現なんて思いつかないほど、頭が冷静に混乱したまま、今日も


私たちは自宅で、外の様子を伺いながらの生活を送ることになるのです。



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