追悼 夢半ばの不慮の死 ペシャワール会 中村 哲医師の無念を想う
2019年の師走、衝撃的なニュースがアフガニスタンから飛び込んできた。NGOペシャワール会の現地代表、中村哲医師が銃撃を受け、死亡した。10月の緒方貞子さんに次ぎ、アフガンにとっては偉大な支援者を失う痛手になった。国際社会にとっても取り返しのつかない大きな損失となった。アフガンでは今まで、友人2人を失った小生にとって、心にまた大きな穴ぼこが空いてしまった気がする。記者会見で笑顔を見せる中村哲医師=2016年8月26日、日本記者クラブで中村さんが銃撃に遭ったジャララバードは、パキスタン北部のペシャワールからアフガン国境のカイバル峠を通り、首都カブールに行く間にあるシルクロードの宿場町だ。土漠の中にある農地は乾燥地が多く、貧しい農民はともすればケシ栽培に手を出してしまう。乾燥地に強く、麻薬生産用に高く売れるからだ。しかし、中村さんは約20年かけ、アフガン東部を中心に灌漑にも洪水防止にも役立つ水路建設を進めた。総延長27Kmの水路を築き、1万6500haを潤し、紛争や干ばつで苦労していた農民65万人の暮らしを支えている。残念なことに私がアフガンに繰り返し、出張していた2001年~2004年の間は中村さんと日程が合わず、現地でお会いすることはできなかった。しかし、獅子奮迅の働きと創意工夫については日本国内での講演や記者会見などで何度も聞くことができた。「地域の自然条件と文化の重視」は、中村さんの真骨頂だった。それを象徴するのは、「斜め堰」と呼ばれる江戸時代(18世紀後半)の日本で生まれた伝統の水利技術の応用だった。人力による石積みだけで干ばつにも、洪水防止にも役立つ堰だ。筑後川の「山田堰」が有名で、開発途上国の水利関係者が視察に来る。中村さんは急流の河川と狭い平地など日本の自然環境とアフガンの共通点に着眼し、この堰を「ご先祖様の自然と同居する知恵」と呼び、現地に導入した。電化率が数%のアフガンで、近代的な堰を築くのは至難の業だが、これなら人海戦術で築けた。これは一例に過ぎず、日本の木造水車も建て、灌漑に活用した。一方、地元の文化習慣を尊重し、イスラム教のモスクも建設した。中村さんにイスラム圏における日本の協力について聞くと、「西洋人vsイスラムの対立構図に飲み込まれないようにしてほしい」と語っていた。そして治安対策については、「イスラム教徒に親日感情が多いと言え、先入観だけで動くと危ない。気軽にひょいひょいと出かけない方がいい。国・地域ごとに情勢を読む必要がある」と語った。だが、自分の身については「私は現地の人になりきって、アフガンに帰っていく立場だ」と言ってニコニコしていたのが忘れられない。アフガンでは外国要人は防弾措置をした車を手配し、1日20万円ものレンタル料をかける。そんな話をすると、中村さんは苦笑し、「自分には守ってくれる多くのアフガンの人々がいる」と話した。その通り、アフガン人は宗教の大義と敬愛する人を守るためには命をかける。だが、逆にそれが狂気とテロの温床ともなるのだ。今回、同行していた何人ものアフガン人も一緒に命を落とし、中村さんを守り切れなかったことは、強く悔やまれる。「人の石垣」を築く発想や、米国の軍事主義に断固反対する姿勢は、徹底した「民の思想」の人だった。ペシャワール会は約1万2,500人の会員の寄付約3億円で運営するが、日本政府からの財政支援は受けない方針を貫いていた。それは、NGOの柔軟性や機動力を失いたくないという中村さんの強い信念だった。だが、中村さんの水路関連の事業には2010年から18年まで、国際協力機構(JICA)の資金も導入された。2016年8月の東京での記者会見では、水路建設の対象地の拡大に手ごたえを語り、「ODAは事業を拡大して安定させる時には生かしたい」と述べ、「官民連携」の実現にまんざらでもない様子だった。中村さんは最近では、国連食糧農業機関(FAO)と共に用水路を建設する技師たちをアフガンに育てる学校運営に精を出していた。過去2年間で1000人の卒業生を出したものの、アフガンの国土すべてを緑豊かな地にするためにはさらに多くの人材育成が必要だ。その夢は、ついに道半ばになってしまった。その無念さを察しながら、「アフガン、忘れまじ」との思いを強くした。合掌竹内 幸史