英語のレッスンで使用している人形がある。

それはサクラメントにすんでいるときのルームメイトからもらったピンクのクマの人形と

同じくサクラメントにいるお友達からもらった同じ位のサイズのクマの人形。

名前が無く

子供たちにつけてもらおうと思っていてもだれもピンクベアーとかいうばかりでつけてくれないので


つけてみた。


Ashley(ピンク)そしてJames(もうひとつの)


Jamesとは私が昔?今もおもひを寄せていた人の名前。


Ashleyは私が作った英語の名前。


今日ある生徒にAshleyちゃんとJamesくんだよぉ~“Hello- How are ya?"って話しかけたりして遊んでいたらその生徒にひょいっと取り上げられ


“JamesとAshleyちゃん、喧嘩してんの~!”っていうもんだ。


内心“なぜわかる!”しかもその後にJames&Ashley人形くっつけさせて、ちゅーさせて遊んでいて

無償に

むなしくなった。


In realityでの、JamesくんもAshleyちゃんは喧嘩していないけど

唯、離れちゃっただけ。

クマのJamesくんとAshleyちゃんはいつでもくっついて喧嘩してもチューしたら仲直りする

仲良しさん。


せつないね。



母親と対立。

何が対立って・・・ 心理学の根本的な概念に対して。


母は病院で人間中心療法なるグループセラピーを実践しており

私もとても興味深く勉強している分野なんだけれども。


母がそれをWriteUpするにあたって、“うまく書けない”と言うので

すこし協力したいというところから始まったこの対立。


そう、私は どちらかというと行動主義的な面があり、心理学は目で明確に見えそして

論理的に解明されていくべきなもの。科学としての心理学は統計学的データに忠実にそして客観的に

判断解明されるものとタタキコマレタ in Sacto なわけであって。

精神分析的概念を崇拝する母親に

私は嫌悪感を抱いた。いや母と意見が対立するのはいいのだけれど

彼女自身、私が抱いている“科学としての心理学”を断固たる姿勢で受け入れることができないでいてそれは間違っているというのが 畜生、腹が立つ。臨床ベースV,研究ベース。どちらも心理学で人間の心を学ぶもの。それなりに派閥があるのは私のPsychの先生たちの授業でいろいろ学んできたつもり。


私は臨床のことはよくわからん、母も母で理論なんかじゃぁ人間の心なんてかたらせねぇ。(確かに理屈ではいけないんだけど何かを証明するときにはそれなりの屁理屈はこかなあかんやろ?)


あぁ。


前からいつかは議論するだろうなぁと思っていたけどやっぱし・・・

What you see is what you get or what you do not see, sometimes what you get.

なのかね~・・・


目に見えないものは信じない。

とずっと云って来た私だけど 心のありかについて

脳とか行動だけではない “何か”について 考えはじめたんだけど こういうことを

通して 私の根本はまだ変わっていなかったんだなぁ と思った。




Me is so 感傷的よ。


レッスン行く前に駅前にある やすいお菓子屋さん

お茶とガム買おうと思って入ったら m-floのlet goって曲が流れていて・・


なきそうになっちゃったわよ!

この曲には思い出があってね。

その曲の歌詞のような 恋をしたってわけじゃぁないけど

その3分の1くらいあたった感じなものをしたの。


せつねぇよ。

"全ての始まりは hey how're u doin?" あぁ まさにそうさ。

"2人目と目が合い幕開けたストーリーライン" そうやな。

"そして出会いと別れがセットかのように・・" はは まさにそうさ。


兎に角


帰ってきてMステとか数年ぶり?に見ていたら

山崎まさよしさん?が歌っていたので鑑賞していたら


気づいたら


涙がほろほろろ。

八月のクリスマスだっけかな曲名は。


心が敏感になっている最近は

やさしいことばとか 子供たちの“チュウ”とかハグとか

歌とか 

本当に染み渡ります、こころに。




あはぁ~

今日も働いた働いた。


ホント大変よぉ~


生徒は夏休みだから

気抜けしちゃって だらりんだらだらの やる気ゼロ

で先生も最近不眠症でお疲れモード。

だけど先生がそんな弱音はいちゃあ あかんから

気合で朝バイト行って

レッスン行ってきた。


一人の生徒は旅行やなんやで1ヶ月ぶりにあった感じで

かなりレッスンモードにならなかったけど

もう一人の生徒は難しい難題も

一生懸命取り組んでくれて 嬉しかった。

だけど本当のところは、夏休みだもの 休みたいわよね。


先生はいつでも生徒の見方よぉ~ 笑。今は誰よりも

子供たち(生徒たち)が可愛いくてしょうがないんだもの。

よそ様のお子様でも

やっぱ可愛いもんは可愛いんだもの~


と アメリカにいるお友達が仕事場に赤ちゃんを抱いたお母さんに向かって

" I want to have your baby"といった事件を思いだしてしまった。

そのお友達、英語があまりお上手ではないため 彼自身、その赤ちゃんを抱っこしたかった

のが本心だったのが“あなたの子供がほしい”といってしまったのですね。


そんな彼がとっても大好きでした。




ずっと好きだった人に

いいヒトができた(できそう)という友人の報告から3日が経ち

絶望のふちからまだまだ這い上がれずに(*1)喪の仕事をしています。

好きだった人はかつて私が留学していた場所で出会った人で・・

私の帰国の2ヶ月前に仲良くなったのに運命とは皮肉なもので

報われることの無い恋をしてしまったのです。初めて、心の奥から人を愛し

信じることができた唯一の人だった。(といっても初恋ではないんだけれどね)


まぁ長い話なのでもう思い出すこともここに書くこともしませんが・・


正直、

辛いです


今は一人でいろいろ考えてみて自分の肥やしにしていこうと、ただそれだけがんばっているって感じ。

考えてみれば いい経験しているのかな。痛みをしることができ、そこから何か得ることができるのならその痛みにじっと耐えていく。いつかは涙もからっからに乾いてまた笑えるようになるんだから。理屈でわかっていても不安でどうしようもなくなるのが本当のところ。なんだけど・・


喪の仕事とは:

愛着のある対象の喪失のよって生じる悲嘆の苦しみを乗り越えていく心的プロセスをS.フロイトは喪の仕事とよんだ。「対象」となるものは現実の人間だけでなく、幻想上の自己像や恋人像、若さや健康、仕事や財産なども含まれる。人間は時がたてば自然に失った対象を忘れてしまうのではなく、さまざまな感情体験を繰り返し、悲しみと苦痛の心的過程を通して初めて対象喪失に対する断念と需要の心境に達することができる。