純粋な神のエネルギーとチャネリングする

もしかして、自分の声が答えとしてくるかもしれません。私たちが神の源の一部として創られているのだったら、私たちの声も神の一部です。本当に源となる創造主は、私たちの肉体に対応できないくらいとても大きなものです。指をコンセントに突っ込んで電気が体に流れるくらい、それくらい対応できないエネルギーです。対応できないほどのエネルギーだから、それぞれの文化に個々の神々を創りました。だから、対応できるようにそれぞれの文化に神様がたくさん居るのでしょう。


源となるものを個々の神々として創った方が、創造主に圧倒されることなく理解しやすいのではないでしょうか。宗教や文化によっては、神はネガティブなものだと言っているところもあります。昔の純粋主義者の中には、かなり人を憎しむような神様がいました。神に関する情報が途中で歪んでしまった。

 

仏教の基本的なテーマは、覚醒と目覚め。少し自由度が出ます。古代のイスラム教は、自分の信念に厳しくなりすぎています。私たちは、どんな情報でも受け入れられるような、オープンなスピリチュアルな道に歩む必要があります。ただし、気をつけなければいけないのは、スピリットが、自分は神の周波数だよというフリをしてアプローチしてくる。それだけには気をつけなければならない。本当の神のエネルギーは、わたしたちに対してチャレンジを投げかけてきます。そして、本当の神のエネルギーは、私たちに逆にチャレンジさせてくれます。本当の神のエネルギーは強いです。

 

神のエネルギーは、ヒーリングの時に痛みを感じることもあります。ただしその神は、自分自身に対して、ネガティブなメッセージは絶対に与えません。私たちの過去を見せてくれるかもしれません。今これができるのではないかしら?ということを見せてくれるかもしれません。でも、これらはやらざる得ない、やらなければならないというプッシュは絶対にありません。そんなことをしてしまうと、いわゆる神の持っている自由意志の原理に違反してしまいます。

 

では、もう一歩先へ行きましょう。


本当に神の純粋な神のエネルギーをチャネリングしたい場合、生命の樹に向かって答えを求めます。こういった全ての世界をイメージするのは難しいです。生命の樹があれば、物質的に見るという方法で見やすくしてくれています。例えば、木の根っこが私たちの住んでいるこの世界を表しているというふうに見ます。根っこが一緒になって、そして幹ができる。幹は全ての世界が織り込まれているところ。そこから枝がでる。1個ずつそれぞれの世界を現している。その枝からの葉っぱが、私たちが親しんでいる神聖幾何学です。フラワーオブライフとか、生命の樹とか、そういったものをあらわしている。単なる比喩、たとえです。

いろんな宗教で、オリーブの木が人と話すというのは、木が実際話しているわけではなく、こういった世界に繋がっていたということを意味しています。それぞれの世界はとても大切で、お互いのために存在しているわけです。どこかの世界がひとつだけ大切だとか、そういうものではありません。

 

 

完璧な食事を作るのと全く同じことです。それぞれの材料(要素)があるからこそ、素晴らしい食事ができる。ですから、チャネリングする時に、必ず流出界に行く必要がないのです。イェツラー(形成界)のエネルギーにフィルターされて、アッシャー(物質界)へ降りてきます。そして同時に、ブリアー(創造界)のエネルギーもこの世界にフィルターされてやってきます。

形成界は、私たちの周りを常に見ています。そして形成界は私たちが存在する、アッシャーの行動界はと物質界と両方に直接繋がっています。ブリアーは目に見えない世界。これを見ようとしてしまうと私たちは脱線してしまい、妨げられてしまいます。妨げられるのもそれはそれでいいのですが、ダメージになる場合があります。

 

過去世を見る時は、アダム・カドモンの世界を見ます。この世界に長い間居すぎると私たちはファンタジーの世界で生きてしまうことになってしまう。過去世でどこに居たのかなと知るのもいいことです。ちょっと考えて下さい。今を知ってこれからどこへ行くのかを知る。それか、いつも過去を見て過去ばかりに生きる。どちらがいいですか?

 

過去世リーディングで、あなたは王様ですよ、女王様ですよ、神ですよとか、重要な高貴な存在でしたよと言われたことはありませんか?過去世リーディングで、あなたは単なる農夫でしたとか、掃除婦でしたとか、魚をさばく人でしたとか言われたことはありますか?あなたの過去世は、単に魚をさばくだけ、それだけがあなたの過去世ですよ、そんなの聞いたことはありません。

 

チベットの教えは、とても大切な宇宙の真実を保持しています。それは、全員、全てとして生きるということ。ということは、当然あなた方は、王であったり女王であったりということをしているわけです。また、同時に農夫であったことも事実です。魂は、いろんな人生でいろんな要素を体験するのが大好きです。だから、過去世をリーディングした場合、自信をもって言えることは、絶対に間違うことはないということです。全てとして生きていたら、確かに全てその通りだからです。

 

ここで多くの人は、幻想の世界へ入ってしまいます。正直言って、過去世リーディングは楽しいです。しかし、過去世の中で、最も大切なものにフォーカスしなければならない。また一番大切なのは今生です。過去世をリーディングする時は、その人のいろんな要素をシェアするのが大切になってくる。とても高貴な存在であった時のことを見せるのもいいですね。また、それと同時にとても謙虚な気持ちで、農場で果物や野菜を育てていた。そういう面も見せてあげてもいいでしょう。ポジティブだった過去世を見せてあげる。過去世で誰だったか、何をしたかが大切ではなく、それらの時代に何を学び今世でどうやって役立てていくかが重要なのです。

私たちの体はいろいろ行動していますが、魂にとってはすでに終わっていることなのです。最も自分に影響を受ける人生は、今生です。今生は、他の過去世と直接関係性があるかもしれません。でも、その過去で起きたことは、すでに今生で起きているのです。

人間のマインドは、順番に時系列でしか理解できないようになっている。次の人生になると、その時に一番大切な人生というのは、その次の人生になるわけです。よくある傾向として、3次元に生きる人間は、過去、現在、未来というふうに、順番に一直線上に見ることしかできません。これを高度な量子物理学として見てみましょう

 

人生ありのままとして見た場合、人生を完全な円で見たらどうでしょう?(メビウスの輪になり、過去・現在・未来すべて今に集約)全て、点と点が繋がり完全な円です。それが何度も何度もぐちゃぐちゃになって、そして魂になる。魂は、これから生きていく全ての人生というのをあらわしているわけです。

ということは、それぞれの人生、お互いに触れているということ。今を生きながら、過去世も未来の人生も全部一緒に同時に起きているということです。今生から過去世は変えられない。しかし、今生から、未来の人生は変えられる。だから今生にフォーカスします。

 

どういうことかというと、一直線上の考えをとって、人の人生が2,000年からスタートとして、2,090年に死んだとします。そして、生まれ変わりたいとします。そうすると、その人の次の人生は1,900年に生まれ変わりたいとしたら、次の人生は1,900年になるわけです。私たちが一直線上に考えるから、魂が同じように考えているとは限りません。今生が終わって、次目覚めたとします。そうすると、1,300年に行って目覚めるかもしれません。でも歴史は常に書き換えられているので、今という瞬間に言われている歴史しか私たちにはわかりません。

 

例えば、来世で、リンカーン大統領の暗殺を止めた場合、歴史が書き換えられ、今生にいる私達の記憶も、リンカーン大統領が暗殺された記憶が書き消されるのです。これを理解するには、量子物理がくや時間のパラダイムについての本を読むと、タイムトラベルの概念が理解できるでしょう。

 

私達は、全ての転生を同時に描きながら、ランダムな順番で生きています。すべての人生は、同時に起こっています。ただ、意識している人生が今世だけ。他の人生を意識していないだけ。人間のマインドは順番に次系列でしか理解できないようになっています。もし、すべての人生を認識できるとすれば、すべての人生が同時に起こる事になります。これは、多次元的な意識を同時に認識するということ。

 

脳は無限のハードドライブだと考えると、その中には全ての記憶が貯蔵されています。アクセスできる記憶はその一部なのです。次の転生が未来ではなく、過去に生まれ変わるかもしれないということです。マインドは、私たちが混乱しないように過去・現在・未来というように、直線にしてくれているだけ。

 

チャネリング力を磨く

チャネリングで、正しいも間違いもありません。チャネリングしている時は、未来かもしれないし、過去をチャネリングしている場合もあります。それを磨くには練習あるのみです。

特に、人の痛みはすごくリーディングしやすい。過去にある痛みを経験したら、今はその痛みがなくても、痛みをリーディングしてしまう傾向があります。また、とても苦しんでいる時、平穏さをリーディングしている傾向もあります。苦しんでいるから、その人は平穏な気持ちを持ちたいと思うから、その気持ちの想いをリーディングしてしまうこともあります。練習することで、この痛みは過去にあったけれども、その後進化しているからこれは過去の出来事だとか、もしくはとても穏やかだと思っていたけれど、実はすごく痛みがあってすごく穏やかになりたいとか。その見極め、判断力を磨くことができます。そして覚醒、目覚めは一夜にして起きません。

 

人生の中でところどころ、目覚めや覚醒した瞬間はあります。もし、人生に押し倒されそうになっても立ち上がればいいだけです。ピュアな気持ちとズレてしまって、そのためのテストということでダウンしてしまうこともあります。とにかく覚えといて欲しいのは、たとえ痛みに繋がっていたとしても、神に繋がった時はとても心地いいものです。痛みと平穏さは、同時に同じ空間に存在することができます。