泣いてます
今日はずっと泣いてます。
相手がワタシがやりたいと思っていると考えていることと、ワタシがやりたいことのギャップがありすぎます。
ワタシはクリエイティブな仕事がしたんです。形の残る、クリエイティブな、職人のようなこと。
このままではシタッパーで終わる可能性が高いです。いかんです。
それを伝えるのにワタシは、いやみのひとつを言うのがやっと。こういうのは猛烈に下手です。
しかも相手はそんな言葉も理解なんてしてくれません。いやみの言い方も下手なわけですね。
今日はいっぱい涙を流して、このつらいも流したいと思います。
もっと自分で、自分のやりたいことに向かって動かなきゃ!
君に責任はない
この言葉が嫌いです。
ミスったときの慰めでこの言葉をいわれたことはありません。
いわれるのは、自信をなくしているときです。
相手は励ますつもりだったり、悪気があっていっているんじゃないんだろうけど、この言葉はかなり傷つきます。
さらに自信がなくなります。
「上手くいかなかったら、泥をかぶるのは僕。君には責任ないんだから」
そんなことを今日も言われ、ヘコみました。
「責任はないんだから、思い切ってやれ」って意図だったんでしょうけど、ワタシには違う風に取れました。
この人にとってはただのコマに過ぎなくて、重要なピースでは決してないんだなと。
「君は今失敗してもこの業界で生きていけるけど、僕は失敗したらこの業界ではやっていけない」
こんなことまでいわれたら、本当にショックです。泣きそうです。
ワタシだって、遊びできてるんじゃないんです。この会社のために転職してきたんだから、ここで失敗したらワタシだってアウトです。
「会社が潰れたって、君は困らないでしょ」
前の会社ではこんなことをいわれました。
ふざけんなと思いましたよ。会社が潰れたら困るに決まってんじゃん。愛着だってないわけじゃないんだし。
いろいろヘコみますが、ワタシは何がほしいのかというと、お金でも役職でもないんだと思います。
責任がほしいんですよ。
「責任」があると燃えます。自分がやらなきゃって思うからです。
責任が与えられずにただやれといわれても、ちっとも面白くないです。
きっと責任を果たすという目標がないからですね。
社員=看板
看板は一社に一個だけあるのではなく、あたりを見回せばいっぱいあります。
会社も社員がいっぱいいて、一個だけではありません。
社員のひとりひとりが看板で、それをデザインして出稿している人が社長。
普通の看板でもお金を出すのは看板を出したい人だし、デザインも主となるのはそれを出したい人であり、コンサルタントもいたり、まさに会社と同じ。
看板もいろんなタイプがあって、それぞれが魅力的だったり、しょぼかったり。
社員も同じに、個性があって、それがお客様にウケたりウケなかったり。
お金のあるところは、いっぱい看板も出せますが、必ずしもお客様の心に響く看板であるかはわかりません。
少ししか看板が出せなくても、お客様の心に響く看板はあります。
看板の質は、社員の質ってわけです。
「私は看板です」という話をしたら、どうも勘違いされたらしい。「社長が看板」と思われたらしい。
社長はあくまでも出稿してる、看板出してる人であり、看板の色を決める人であり、看板そのものは社員ひとりひとりだと思うのです。
看板の色を決める人がいなかったら、看板は看板としての意味を成しません。
社長がいなければ、社員もいないんです。
社長だけの会社はあっても、社員だけの会社なんてありませんから。
さて、これをもうちょいまとめて、雑談がてらにぶつけてみるか。
自分は自分と思うより、自分は会社の看板と思った方が気が楽なんですよ。
看板だから、社長(会社)の意思をお客様に伝えるのが仕事です。
人に接するのが怖いこともあるけど、「私は看板」と思えば、わりと大丈夫なもんです。
極端な話、看板によって何か起きたときの責任は、看板そのものではなく、出稿した人の責任ですから。
全ての責任を会社や社長のせいにして逃れる気はさらさらにないですが、気持ちの切り替えってやつです。
「私は看板」論は、友人の受け売りです。
教わったときは、漠然としか理解できませんでしたが、やっとわかりましたよ。
捨てる勇気
引越しできそうなのですが、ごみが死ぬほどでそうです。
さてさて、捨てる勇気というのは物品だけに限らず、恥やら頑固さやらを捨てたりもしなきゃいけないわけです。
でもポリシー、もしくは志というのは時と場合により一時捨てても良いけど、忘れちゃいけないと思います。
今は捨てなきゃいけないけど、必ずまた拾います。拾わないと駄目です。
捨てた夢が、何かの拍子に拾えたりするので、人生って面白いもんですね。
生きてりゃいろいろあるのは当たり前。どこまで自分を信じられるかですかね。
そんないろんな勇気を少しずつ集めて、自分の道を築きます。
認める勇気
文章にすると、自分自身でも新しい発見がありますが、こういうところで書くと誰かが道を教えてくれるので、非常に有難い限りです。
そして、ちょっとだけ悟りました。
できないことをできないと嘆くのではなく、できないことを認めることも大事なんだなと。
できないからなんとかしようとばかり思うと辛いだけになっちゃいます。
だけど、できないものはできないと認めて、違う視点に切り替えて、できなかったことを見てみると、案外できる方法が見つかるものです。
わからないけど、なにがわからないのかわからない。
そういうことってよくあるんですが、これも片面から見ているだけではわからないだけで終わりますが、反対から見てみると理由が明らかになったりします。
ボールでも見る角度によって、影があったりして、ちょっと違う風に見えます。
いくつもの視点に切り替える力も必要なんですよね。
わかっているけど、いざ直面すると忘れがちになります。
さて、そんなこんなで、駄目な自分を認めたワタシですが、そこで終わったら意味がありません。
駄目な自分を認めたからこそ、次の手が打てる覚悟ができました。勇気が湧いてきました。
何事にもこの積み重ねが重要ですね!
数というプレッシャー
たいした数じゃなくても、どうでも良い数でも、数字を言われるとなぜか滅入ってしまうのは、周りは誰も気にしないような勝手に気負ってしまっていることがあるからかも知れません。
バグは直せるけど、数は直せるような代物ではないし、簡単に思い通りの数が出せるものでもないので、悩みすぎて辛いんですね。
元々数字を気にして仕事してなかったから、急に言われても悩みが増えるだけだったり。
気にしてた数字は締め切り日くらいですか?
たいぶいろいろ溜まってしまって、ここ二週間くらい、思考停止状態です。
何かアクションを起こさなければならないとき、他の手が思いつくわけでもなく、これでは駄目だと思いながらも、半ば諦めて言われたままやるだけ。
非常につまらない、やりがいがない、朝も起きられない。要するに覇気がないって感じですね。
これじゃ駄目だとわかってるけど、心に思考がついていけてません。
これに耐えて、立ち向かって、成功体験までもっていけないと、今後もいろんなことがトラウマになって残りそうです。
悩みまくって、結局成功体験までもっていけなかったことって、今でもそのアクションを起こすのが怖くて躊躇しまくっちゃって、何ということでなくても思い切ってできなくなってるのです。
これって、非常に悪循環ですよね。
いやね、そんな愚痴とか言い始めたらキリないのわかってますよ。
でも言わないとまた積んで積んで、最後にブチッといっちゃうのはわかっているので、ここで吐いているんです。こうして書くことで、解消しているんです。
見ちゃって嫌な思いした方がいたら、本当にごめんなさい。今日は運が悪かったと思ってください。
そんなこんないいますが。
誇れる学歴がなくたって、信じていればやりたいことやって生きられるということを実証するためにも、ここで投げ出すわけにはいきません。
自分の歩んできた道を、誇らしく語れるオトナになりたいです。
さて、どうやって覇気を取り戻すか。
それがしばらくの課題になりますね。
目立つ人、目立たせる人
目立つ人と目立たせる人。
これって似て非なる人なんですよね。
で、同じ人が両方をやることはほぼないようですね。
本人に自覚があれば、できるのかもしれませんが、性格の問題だろうと思うので難しいでしょう。
さて、何を悟ったのかというとですね。
1.目立つ人はどう立ち振る舞えば、自身をいかに目立たてるかを知っているということ。
2.目立たせる人はどう立ち振る舞えば、他人をいかに目立たせることができるかを知っているということ。
どちらのタイプもアクティブで、よくしゃべる人ばかりですが、よくよく観察すると行動がまったく違います。
まあ、悟っただけではつまらないので、ここでひとつ目標を立ててみますよ。
ワタシは2の目立たせる人を目指します。
他人を目立たせて、自分も目立つ。これが一番ですね。
呑んで喋ってすっきり
| 今日は、前の会社に挨拶がてらいきまして、名刺をばらまいてきました。(ぇ そのあと、元上司の御方と呑みまして、いろいろ話しました。 サシだったこともあり、本当にいろいろ喋りました。 とくに胸につかえていたことはないんだけど、とてもすっきりしました。 もっと頑張ろうという意欲ももっともっと湧いてきました。 ちゃんとボーナス出るようファイトだ! |
子供のころから
と、たまにふと振り返るのです。
子供のころに熱中していたものといえば、ぬいぐるみとアイドルとアニメと漫画とゲームとビックリマンと電車など。
普通なら途中で軌道修正入って、女の子らしいことのひとつでもするんだろうけど、そのまま大人になっちゃったんですね。
周りが少女漫画読んでいる時期に、少年ジャンプが愛読書だったのも間違ってたと思われます。
色気より趣味まっしぐら。
それを恥じずに堂々と言ったから、今の仕事があるわけです。
人生、何があるかわかりません。
