左脳の記録 -2ページ目

形式美

形式美の日本文化



形式に身をゆだねる中で発見する自我

形式にとらわれることの不自由さ

形式に身をゆだねる心地よさ、反面、自我喪失


日本人のメンタリティのベースなのか

続けることが先

初回のエントリからだいぶ時間がたってしまった。

長くまとめて書こうと思うと、時間がとれずうまくかけない。


長くまとめることと、続けること、その二つに優先順位をつけると、

続けることが先、だから、左脳外、すなわちロジカルじゃなくても、

思いつきをメモ程度に残していこうと思う。

映画「ザ・コーポレーション」を見て

映画「ザ・コーポレーション」 をDVDでみて、大量消費社会の害悪について考えた。


マイケル・ムーアも出演し、 企業の害悪について説明するドキュメンタリー。
企業は利益至上で利益のためなら害悪を生んでも気にしない。
企業が生む害悪、第三国搾取、環境破壊、人権侵害、限りある資源の濫用、、、。


見方は偏っているものの、確かに事実だと思う。

一人の人が現在の社会をガケからとんだ飛行機と例えていた。

ガケの上から離陸し、自分たちは飛んでいると感じている。

でも、本当は飛んでなんていなくて、いつか地面に墜落してしまう。

地球上の資源がガケの高さ。

資源が枯渇したらこの社会は継続できなくなる。

産業革命以降、急速に消費が経済的繁栄を生み、

経済的繁栄に幸せがある資本主義社会が発展した。

地球上の資源に限りがあるのにも関わらず、

限りがあることなどすっかり忘れてしまうような大量消費社会が到来し、

自分はその真っ只中に生まれてきた。

そして、その消費社会の原理を「経済」として学び、

何の疑問もなく消費社会のド・中心で一輪となって働き、

賃金をもらって生活をしている。

文明的な生活も当然のもので、次から次へと好きなモノを消費して生活している。

映画では、Sustainableな社会に転換すべし、

そのためには一市民として政治に声を出していこうとあった。
それはごもっともであり、異論はない。

でも、なんかでもその結論はあまりに性急で問題を解決できるように私には思えなかった。


★映画を見て疑問が残り、解がみつからず途方にくれた。

映画の中の企業性悪説にそって考えると矛盾の中に生きている自分がどうしたらわからなかった。


Sustainableな社会とはどのようなものなのか?

今の生活が当たり前になってしまっている人が、 何を捨てればSustainableな社会が手に入るのか?


具体的には、映画の中で「企業が環境問題を気にしているといっても、

それは気にしていると思われたいだけだ」と企業性悪説に基づいており、

それにしたがって考えていくと、槍玉にあげられている企業に勤める自分が、

いくらオーガニックな洗剤、化粧品、食品、フェアトレードのものを買っていっても、

自分が企業に依存して生きている限り、

それが社会の転換にはならないのではないかと思った。

労働力を売る労働者として、この社会にいる自分は、

一つの歯車として存在しながらも、機械全体の仕組みに疑問を感じているわけで、

そこに大きなジレンマがある。



この映画をみてなぜ途方にくれたか考えたのだが、その結論。

通常問題解決は下記のプロセスをへて解決されるものだと思うが、

この映画では2の部分がなかった。

1の問題意識を人々に植えつけるためには非常によくできた作品だけど、

社会を変えようというのなら、2の提案があるべきだと思う。

1.現在おかれている状況、問題を理解する。
2.問題解決のゴール、道筋を決める。
3.先に決めた道筋にそってアクションを起こす。



★ジレンマはさておき、今の自分がひとまず消費者としてできることは下記だと思っている。


その1:

大変なことだが、害悪を生み出している企業をかえていくことができればいい。

企業をかえていくために、消費者としては購買行動で意思表示ができるはず。

選挙の一票を投じる気持ちで、しっかりと企業姿勢を見極めて購買していくことがそれにつながる。

投票できる企業などまだまだ少ないが。


その2:

問題を理解し、周りに広めていければよい。

少しでも多くの人がこの問題意識をもつことによって、

力が重なり合い、企業をもかえる力となっていくのではないか。

この映画もそのために作られているはずだから。