キリスト教っぽい音楽
まえまから、いわゆるクラシック音楽というものが
キリスト教文化圏にあるものであるから
キリスト教徒でもない、東洋人が、
きこえのいいメロディーであるとか
もってもいない信仰心へのかるい共感から
そういった音楽を演奏するということは
よくないよなと、思う部分があった
いいじゃないか、好きであれば
そんなかたいこというな
クリスマスだって、サンタがくる
イエスの誕生日だって知らない人も
いっぱいいる
…と、思う部分もある
けれど、部分的に、やはり
やっぱな、と、思う部分があった
+ + +
先日、キリスト教のモトとなった人物、
イエスについての映画を2本みた
1本目はなかなか、印象的だった
・新約聖書~ヨハネの福音書~
しかし、これをみて、おもった
イエスが生まれた場所というのは、
いまでいう中東
イスラエルのナザレという場所
中東といえば、砂漠であるとか
シュロの木みたいなのが生えていて
ヘビなんかもいて
その地域の音楽といえば、
ヘビつかいのBGMみたいな
独特の音律のラッパとか
ボンゴみたいな打楽器であるとか
そういうかんじのはずで
バッハのつくったパイプオルガンの
荘厳な音楽とは程遠い
そのあと、もう1本見たのが
・新約聖書~イエスと二人のマリア~
こちらのほうには結婚式の祝祭の場面がでてきて、
そこで当時のものにちかいだろう音楽が
演奏されているのだが
その、さっきかいたような、まさに
ヘビつかいの音楽のようなかんじであった
それで、そうだよなぁ…と
あらためて思った
+ + +
話ははじめのほうにもどって、
だとすれば、その、いわゆるキリスト教文化圏の
キリスト教っぽい音楽は
もともとの、イエスのいた世界の音楽とは
かけはなれている
あとからイメージとして作り上げられたものなのだ
バッハの有名なトッカータとフーガ※なんかも
※「チロリーン、はなから牛乳~」の曲
教会の権威を示して
一般市民をビビらすための音楽のようにも
思えてきた
神の威光にそむくと
ヒドイめにあうぜ
…というような
教会は、腐敗の歴史もあることだし
あながち、はずれてないかな
+ + +
そんなことをひととおりおもうと
アヴェマリアという美しい曲1つとっても
もともとは、ヘビつかいみたいな音楽に
かこまれて生活していただろうマリアについて
ヨーロッパの人たちが
彼らなりの解釈によって
聖母マリアのイメージを音にしたにすぎないのだし
そういうヨーロッパの人たちの音楽を
東洋のかたすみの人間が
「雰囲気が好きだから」
というだけで、演奏したとしても
そんなに、めちゃくちゃなことではないのかも
…と、多少思ったけれど
やっぱり、多少の域をでない
宗派なりがちがっていても
神、というものについて、
話題にあげることがタブーであるとにげることなく
ひととおりの考えをもったうえで
そういった、信仰にちかいところにある音楽は
演奏すべきであると、思う
ほんとは、ヘビつかいみたいな
エキゾチックな音楽がながれていた世界にすんでいた
イエスについての音楽が
ヨーロッパ風に平均律によってなにやらシステマチックに
奏でられているとしても
+ + +
ついでにそのあと、モーセについての映画を2本みた
こちらもやっぱり
アラブっぽい風景の中で
物語がすすむ
イスラム教の経典のなかに
モーセもイエスも予言者として
かかれているのだそうで
キリスト教とイスラム教は
ぶつかることがおおいけれど
にたような場所、にたような時代に
うまれたものなのだ
そんなことどうでもいいって?!?!
演奏がウマければ関係ないって?!?!
そういうのも1つの考え方ではあります
…といった
だれがよんでくれるわけでもない
あてもないことをこんな場所に
かいてしまいました
キリスト教文化圏にあるものであるから
キリスト教徒でもない、東洋人が、
きこえのいいメロディーであるとか
もってもいない信仰心へのかるい共感から
そういった音楽を演奏するということは
よくないよなと、思う部分があった
いいじゃないか、好きであれば
そんなかたいこというな
クリスマスだって、サンタがくる
イエスの誕生日だって知らない人も
いっぱいいる
…と、思う部分もある
けれど、部分的に、やはり
やっぱな、と、思う部分があった
+ + +
先日、キリスト教のモトとなった人物、
イエスについての映画を2本みた
1本目はなかなか、印象的だった
・新約聖書~ヨハネの福音書~
しかし、これをみて、おもった
イエスが生まれた場所というのは、
いまでいう中東
イスラエルのナザレという場所
中東といえば、砂漠であるとか
シュロの木みたいなのが生えていて
ヘビなんかもいて
その地域の音楽といえば、
ヘビつかいのBGMみたいな
独特の音律のラッパとか
ボンゴみたいな打楽器であるとか
そういうかんじのはずで
バッハのつくったパイプオルガンの
荘厳な音楽とは程遠い
そのあと、もう1本見たのが
・新約聖書~イエスと二人のマリア~
こちらのほうには結婚式の祝祭の場面がでてきて、
そこで当時のものにちかいだろう音楽が
演奏されているのだが
その、さっきかいたような、まさに
ヘビつかいの音楽のようなかんじであった
それで、そうだよなぁ…と
あらためて思った
+ + +
話ははじめのほうにもどって、
だとすれば、その、いわゆるキリスト教文化圏の
キリスト教っぽい音楽は
もともとの、イエスのいた世界の音楽とは
かけはなれている
あとからイメージとして作り上げられたものなのだ
バッハの有名なトッカータとフーガ※なんかも
※「チロリーン、はなから牛乳~」の曲
教会の権威を示して
一般市民をビビらすための音楽のようにも
思えてきた
神の威光にそむくと
ヒドイめにあうぜ
…というような
教会は、腐敗の歴史もあることだし
あながち、はずれてないかな
+ + +
そんなことをひととおりおもうと
アヴェマリアという美しい曲1つとっても
もともとは、ヘビつかいみたいな音楽に
かこまれて生活していただろうマリアについて
ヨーロッパの人たちが
彼らなりの解釈によって
聖母マリアのイメージを音にしたにすぎないのだし
そういうヨーロッパの人たちの音楽を
東洋のかたすみの人間が
「雰囲気が好きだから」
というだけで、演奏したとしても
そんなに、めちゃくちゃなことではないのかも
…と、多少思ったけれど
やっぱり、多少の域をでない
宗派なりがちがっていても
神、というものについて、
話題にあげることがタブーであるとにげることなく
ひととおりの考えをもったうえで
そういった、信仰にちかいところにある音楽は
演奏すべきであると、思う
ほんとは、ヘビつかいみたいな
エキゾチックな音楽がながれていた世界にすんでいた
イエスについての音楽が
ヨーロッパ風に平均律によってなにやらシステマチックに
奏でられているとしても
+ + +
ついでにそのあと、モーセについての映画を2本みた
こちらもやっぱり
アラブっぽい風景の中で
物語がすすむ
イスラム教の経典のなかに
モーセもイエスも予言者として
かかれているのだそうで
キリスト教とイスラム教は
ぶつかることがおおいけれど
にたような場所、にたような時代に
うまれたものなのだ
そんなことどうでもいいって?!?!
演奏がウマければ関係ないって?!?!
そういうのも1つの考え方ではあります
…といった
だれがよんでくれるわけでもない
あてもないことをこんな場所に
かいてしまいました