Ashica -5ページ目

キリスト教っぽい音楽

まえまから、いわゆるクラシック音楽というものが
キリスト教文化圏にあるものであるから

キリスト教徒でもない、東洋人が、
きこえのいいメロディーであるとか
もってもいない信仰心へのかるい共感から

そういった音楽を演奏するということは
よくないよなと、思う部分があった

いいじゃないか、好きであれば
そんなかたいこというな

クリスマスだって、サンタがくる
イエスの誕生日だって知らない人も
いっぱいいる

…と、思う部分もある

けれど、部分的に、やはり
やっぱな、と、思う部分があった

+ + +

先日、キリスト教のモトとなった人物、
イエスについての映画を2本みた

1本目はなかなか、印象的だった

・新約聖書~ヨハネの福音書~

しかし、これをみて、おもった

イエスが生まれた場所というのは、
いまでいう中東
イスラエルのナザレという場所

中東といえば、砂漠であるとか
シュロの木みたいなのが生えていて
ヘビなんかもいて

その地域の音楽といえば、
ヘビつかいのBGMみたいな
独特の音律のラッパとか
ボンゴみたいな打楽器であるとか

そういうかんじのはずで

バッハのつくったパイプオルガンの
荘厳な音楽とは程遠い

そのあと、もう1本見たのが

・新約聖書~イエスと二人のマリア~

こちらのほうには結婚式の祝祭の場面がでてきて、
そこで当時のものにちかいだろう音楽が
演奏されているのだが

その、さっきかいたような、まさに
ヘビつかいの音楽のようなかんじであった

それで、そうだよなぁ…と
あらためて思った

+ + +

話ははじめのほうにもどって、

だとすれば、その、いわゆるキリスト教文化圏の
キリスト教っぽい音楽は

もともとの、イエスのいた世界の音楽とは
かけはなれている
あとからイメージとして作り上げられたものなのだ

バッハの有名なトッカータとフーガ※なんかも

※「チロリーン、はなから牛乳~」の曲

教会の権威を示して
一般市民をビビらすための音楽のようにも
思えてきた

神の威光にそむくと
ヒドイめにあうぜ

…というような

教会は、腐敗の歴史もあることだし
あながち、はずれてないかな

+ + +

そんなことをひととおりおもうと

アヴェマリアという美しい曲1つとっても
もともとは、ヘビつかいみたいな音楽に
かこまれて生活していただろうマリアについて

ヨーロッパの人たちが
彼らなりの解釈によって
聖母マリアのイメージを音にしたにすぎないのだし

そういうヨーロッパの人たちの音楽を
東洋のかたすみの人間が

「雰囲気が好きだから」

というだけで、演奏したとしても
そんなに、めちゃくちゃなことではないのかも

…と、多少思ったけれど

やっぱり、多少の域をでない

宗派なりがちがっていても

神、というものについて、
話題にあげることがタブーであるとにげることなく
ひととおりの考えをもったうえで

そういった、信仰にちかいところにある音楽は
演奏すべきであると、思う

ほんとは、ヘビつかいみたいな
エキゾチックな音楽がながれていた世界にすんでいた
イエスについての音楽が

ヨーロッパ風に平均律によってなにやらシステマチックに
奏でられているとしても

+ + +

ついでにそのあと、モーセについての映画を2本みた

こちらもやっぱり
アラブっぽい風景の中で
物語がすすむ

イスラム教の経典のなかに
モーセもイエスも予言者として
かかれているのだそうで

キリスト教とイスラム教は
ぶつかることがおおいけれど
にたような場所、にたような時代に
うまれたものなのだ

そんなことどうでもいいって?!?!

演奏がウマければ関係ないって?!?!

そういうのも1つの考え方ではあります

…といった

だれがよんでくれるわけでもない
あてもないことをこんな場所に
かいてしまいました