ちょこアンパン食べたい。 -30ページ目

ブーム。

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いい。

大好きだ。

荒川の河川敷に暮らしたくなる事間違いなし。

なにもしてない。

沖縄旅行は夢だったのかっちゅうくらい、現実を生きとります。

なんもなーい。
なんもしてなーい。


強いて言えば、弟がヘビーローテで寝る前に観るマブヤーが習慣になってまった事ぐらい。


そんなハマるとは思いもよらなんだ。


今夜も20時から21時はマブヤータイムでしたよ!!

スーパーめーごーさぁですよ!!

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これはゴセイジャーですけどね。

二日目ラスト。

斎場御嶽を後にして向かったのは、ひめゆりの塔と喜屋武岬。

平和記念公園にも行く予定でしたが、時間が押しに押してしまったので断念しました。
広い平和記念公園は時間が足りなくてまわりきれないと思いまして…。

ひめゆりの塔では、さすがに写真とか撮る気が出ませんでした。
なんか…
うん、気持ち的に…
なので感想だけで申し訳ないです。



入口すぐにひめゆりの塔は建ててあり、直ぐ下には爆弾(毒ガス弾とは違うみたいですが)を投げ込まれ、沢山のひめゆり学徒隊、兵士が亡くなる大きな被害を受けた場所です。
ガマと呼ばれる壕で第三外科壕です。
深くて広くてデカイ。
そして暗い。
本当にただの洞窟です。

ひめゆり学徒隊は沖縄の地上戦の本格化と同時に二つの女学校の生徒が招集された学生看護部隊で、『姫百合』と昔は記述していたみたいです。

米軍優勢になった沖縄戦末期、日本軍の敗けが明確になった戦下で、ひめゆり学徒隊は『はい、解散』といきなり言われ第三外科壕を出なくてはならなくなった。しかし砲弾の嵐の中、壕の外に出るのは自殺行為。なかなか壕から出る事が出来なかったそうです。
当たり前だっつの。

てか『解散』とか言ったヤツが先人切って出てけよ。と思いました。

第三外科壕に爆弾を投げ込まれた事と解散後戦場を逃げ惑い被弾したり、船で脱出する際に米軍に攻撃されたり、家族で自決、海に身を投げたりで、ひめゆり学徒隊と先生の殆どが亡くなっています。


喜屋武岬もサトウキビ畑や畑、雑木林を抜けた所にあります。沢山のひめゆり学徒隊の方たちが身を投げた場所で『平和之塔』がひっそり建てられています。


夏真っ只中で、青く澄んだ空のしたで起きた沖縄戦。逃げることを許されなかった学徒隊は、私がみた真っ青な綺麗な海を同じ様に眺め身を投げたと思うと、言葉が出ません。


ひめゆり学徒隊の遺影と共にどの様な状況で何処で亡くなったかが書かれていました。
もう、苦しくて読めませんよ。

『手榴弾で自殺』
『家族で自殺』
『船で脱出の際、被弾して死亡』
『第三外科壕にて爆弾により死亡』

その中には、何処で亡くなったのか不明で亡骸も無けりゃ、遺影も無い方もいます。
酷いホントに。
ありえない。



今後二度と戦争とか言う国家同士の痴話喧嘩をしないで頂きたい。
国のお偉いさん同士のくだらない喧嘩に、一般人を巻き込んで欲しくない。
結果的に一番犠牲が出るのは無理矢理駆り出された民間人。戦争するなら、どっか余所の無人島でお偉いさん同士勝手にやってください。

まじフザケンナですね。
どう表現したら良いのか分からないですが、兎に角悲しいのと、腹が立ちました。



喜屋武岬。
平和之塔がひっそり建っています。
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こんなに綺麗な海なのに、悲しい記憶がつまっています。
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