よく聞く言葉のひとつに、

「自分のことは自分が一番よく分かってる」

っていうのがありますよね。

 

ホントかな?

 

私自身のことを言えば、
小さい頃から体が弱くて、精神面でも敏感で、泣き虫で、

人の機嫌をキャッチし易くて、
だからよく大人の機嫌も確認していて、

なのに上手に立ち回れなくて、

ことごとく地雷を踏んではまんまと叱られて、という、

ま~、ドンくさい子だったんですが(笑)

 

 

そんな自分のことをね、

ずーっと、忘れていたんですよ。

そんなヤワじゃないと、ずうーっと思い込んでいたんですよね。

 

「教育」だったり「躾」だったり「環境」だったり、
まあそこに自身の資質も混じり合ったりとか、

いろんな要因があって、
自分自身を律せざるを得なかったとか、

そうしないと生きずらかったとかね。

 

それに気づいたのが、
HASTA手相学を学んでからです。

 

HASTAのメンバーの中でも1、2を争う線の多さなんだよ、この人はって、

つい先日も言われたんだけど(笑)

手相を学び始めた頃、私の右手は左手と比べると、

細かい線は少なかったんです。

 

それでも周囲の人よりは多かったけどっ(^m^)

私基準ね、私の左手基準で考えるとね。

 

ということは、私は成長していく中で、

自分の繊細さや敏感さを、環境に合わせつつ、
自らの意思で封じ込めて生きてきたってことなんですよ。

 

親からの「呪文」も大きかったです。

いつの頃からか、自分ができるだけ傷つかないように、

余り感情を動かさないことを覚えたのだと思います。

表面的にはね。中身は揺らいでいたとしても。

ま、月星座が水瓶なので、多分それは結構たやすくできたはずなんだな。

元々の根っこの根っこには「動じない」というものも、

我慢強さも気の強さも持っていたので、

コトが大きくなればなるほど、

腹をくくってむしろ落ち着く、みたいな部分はあったけど、

そこに乗っかってる精神面、感情面はさざ波みたいだったんですよ。

 

だから、夜中にヒトリでいろいろ噛みしめて泣くなんてのは、日常茶飯事でした。

昼間は我慢しててね。

あ、泣こうって思って泣いてたな、そういえば(笑)

考えたら、結構歪んだ子供です。

 

そして親や周囲のオトナ達から、

鈍感な子だと言われ続けてきました。

そう言われても、すっとぼけて傷ついていないフリをして

それでいいと思っていました。

そのほうがずっと楽だったのでしょう。

 

傷ついた自分をさらけ出せないプライドもありました。

この私が、そんな弱虫ではいけない、強くならなきゃ、そう思っていました。

言葉にするとヤらしいけど(笑)

 

それまで家ではずっと、
弱虫だ泣き虫だ、そんなつまらないことをいちいち気にするな、

いちいち怒るなと言われて叱られてきたんだけど、

それを出さなくなったら、鈍感って笑われるってのもなあ(笑)

かくもオトナは勝手だねってコトよねえ、今思えば。

だけど、子供心にはその判断は出来なかったよね。

 

で、気づけば「そんな自分」を通常運転だと思い込むくらい、

それが「普通」となりました。

 

 

数年前に突然思い出したことがあるんですよ。

幼稚園の頃だったのかなあ。
とってもかわいらしい女の子らしいハンドバッグを買って貰ったことがありました。
うちは当時流行っていたリカちゃん人形すら、買い与えては貰えなかったので
(こっちのが安いという理由で、似ても似つかぬものを買われてしまった(笑)

それが子供心にどれだけ嬉しかったことか。

買ってくれたのは親じゃなくて、祖母か叔母だったんですが。

 

早速それを初めて手にして、母と買い物に出かけた時でした。

いつものように母の歩調に必死でついて歩き、
へとへとに疲れてバス停のベンチに座りました。

バスが来て、母の「早くっ」という叫びに飛び上がり、バスに乗りドアが閉まった時、

母の鋭い声に、血の気が引いたんですよね。

「あんた、バッグはっ!?」

 

大切な大切なバッグを、バス停のベンチに置き忘れてきたのです。

それから家に着くまで、どれだけ叱られたかな(笑)

だけど、気は強いのよ、ごめんなさいなんて言えないのよ(^m^)

何より自分自身がショックで、震えそうだったのね。

ただただ、唇を噛み締めて、その場で泣き出したいのを必死でこらえていたのです。

 

子供だぜ。

泣いたっていいじゃんね。

降りる~取りに戻る~って騒いだっていいじゃんね。

 

でも、しなかった。

そういうことをして親を困らせるという選択肢はなかったんです。

スーパー等でさ、ダダこねて泣いたり暴れたりする子供の図って、ありますよね。

ああいうの、多分一回もしたことないはずです。

 

家に帰っても、くどくどと小言を言われていた私を見て、

母とは仲の悪かった祖母が言ってくれたんですね。

 

こんなちっちゃな子供じゃねーか。

カバン持ったか持ってないかなんて、
確認してやるのは親の責任だろう。

子供が悪いんじゃない、悪いのは親だ。

 

その言葉を聞いて、私はようやく「ちゃんと」泣けたのです。

 

 

ま、象徴的な出来事だったかなと思います。

そうして少しずつ私は「強い私」になっていきました。

 

そういうことに、40代後半にしてようやく気が付いたのですね。

思い出したのですよ。

自分も既に子育てを経験していたので、親を恨むというよりは、

ったく、アンタ達もどんだけ未熟だったんだよって笑って、

私、すんごくいい子だったじゃん、

んもう、ほんっと、かわいそうな子だったじゃないって、
子供だった自分のために泣けたんですね。

 

そしたら、私の右手にはシワが戻ってきました。

さっぱりしていた右手が、シワシワの左手に近づいてきました。

小さい頃、シワシワで真っ赤っ赤なサルの手~!とからかわれて、

それがコンプレックスだった頃の両手に、戻ってきつつあります。

 

感受性が人一倍なら、それは逆に使ったほうがいいんじゃない?

それなら資質としてまっとうに使ってやろうと、そう決めました。

それでも、経験があるから、
子供の頃みたいな、ただの泣き虫に戻る訳じゃないもの。
強さと感受性と両立できると思うもの。

 

若い頃の自分では、無理だったのかもしれません。

だから「そういう時期に」HASTA手相に出会ったのかもしれませんね。

上手い流れだな(^m^)

 

手相を知ること、理解することは、

インナーチャイルドの癒しになったりもします。

自分を認めて、一歩踏み出す勇気にも、エネルギーにもなったりします。

HASTAの仲間たちは、普段そこまで自分語りをしちゃいないけど、

絶対に、内心でいろいろとクリアし続けてるはずなんだよ。

 

そんなエッセンスに触れにいらっしゃいませんか?

 

 

 

あ、両親の名誉のために。

決して特別酷い親だったワケじゃないと思うんですよ。
世代というものがあります。

親たちが育った時代の道徳、社会情勢、本人たちの性質。

彼らは彼らで、都度、一生懸命だったはずだから。