こんにちは、HASTA手相が読めるセラピスト、坂本です。
う、ううう、まだまだ感情が邪魔するなあ。
こっ恥ずかしいったらありゃしないのです。
ぶっ細工に撮れた自撮りをアップするみたいな感じで(笑)
でもこれ、今、私が乗り越えねばならんテーマですので、
たまに、ひーひー言いながら名乗ってみようかなと思います。←M(^m^)
個人的には、自分のブログで、
毎度記事の冒頭で名乗る必要性は感じません。
検索等で来られた初見の方には親切だってことも重々承知ですが、
どの記事見てもそれだと、
毎回同じ内容の定型文を読まされているのと同じ感覚で、
なんか読むのめんどくさいの。
私はね。
個人的な感想なので、自分では、ま、たまにやろうかなと。
昔々っから抱えてるんですよ。
「私が○○だなんて、そんなそんな畏れ多くて」って感覚。
その割に、突き詰めると
根拠のない自信は常に根底に持ってるんですね。
謙遜?
いや、違うな。
後年、それも最近になってからですけど、
手相も、数秘も、占星術や九星気学や、4つポジみたいなものも、
さまざまな「自分トリセツ」的なものを知るにあたって、
あ~、そこかなあと、気づいたことがあります。
それは多分、探求心と自尊心。
まだだよね、もっとだよね、もっと奥は深いよね。
この程度で専門家だなんて、
人から笑われちゃうってんじゃなくて、
「自分が」笑っちゃうよね。
これは謙遜ではないですね。
表面的には「自分に自信がない」という形だけど、
無価値感からの自信のなさとは、ちょっと違う。
だって根っこは「I can」なんだもん。
どっちかって言うと精神的には
「俺はまだ本気出してないだけ」に近い(^m^)
この世界、まだまだ奥が深いはずなんで。
私、やればもっと深められるはずなんで。
今はまだ成長途中の中途半端な時ですから。
今の段階でそう名乗れるほどの自信はないので。
求めるレベルが高いと言えば聞こえはいいですが、
文字にすると、漂うプライドが嫌らしい(笑)
だけど、私ってスゴイんだから、もっと褒め称えよって意味じゃなくて、
心底、まだまだです、もっといけるはずですからって、そう思っちゃってる訳です。
ただただ、自分の「分」不相応なくらい、目線は高いっていう。
傍から見たら、それは滑稽なのかもしれません。
ぶっ細工に撮れた自撮りを
アップするみたいな恥ずかしさっていうのも
かなり感覚は近くて、
この不細工顔~って思うのは、
自分はその写真よりもっと美しいと思ってるワケなんだよね。
だけど周囲にはその不細工顔も、普通に晒してんだよね、いつも。
だから人は、その写真見ても、
そお?いつもの顔じゃん?って思うかもしれないっていう。
でもこれこそ、
私の手型で、
私の木星丘で、
私の人差し指の先ならでは、だなあと思います。
我ながら面白すぎるわ・・・
その他にも、いっぱいキーワードは持っていて、
突き詰める「7」があちこちに出てくるし、
天才肌ではない努力型の「二黒土星」が重ねて2つだし、
職人肌の「辛(かのと)」ですし・・・
でもねでもね。
じゃあ、成長しきった状態っていつのことなのって話です。
それって究極、死ぬ時じゃないですか。
人は生きていれば、少しずつでもずーっと変化しています。
例えば知識にしても、経験値にしても、
ちょっとずつ増えたり積み重なったりしていくもんです。
だけど身につけた知識を有効活用できるのは、
生きてるうちなんだよね。
知識だって、人がより良く生きるための道具です。
しかも、使えば使うほど、磨かれていく道具なんですね。
どこで腹を括るか。
結局はそういうことなんでしょうね。
だから、ある程度のスキルが身についたら、
まずは名乗ってしまえ。
始めてしまえ。
結果は後からついてくる。
それも、ありだよね。
勿論その中で研鑽を積むなんてーのは当たり前の前提で。
だからこれからはたまに、名乗ってみますよ。
顔真っ赤にしながら(笑)
あ~、より感情にひっかかっちゃうのは
「手相が読める」のほうじゃなくて「セラピスト」のほうかも。
あ~、より感情にひっかかっちゃうのは
「手相が読める」のほうじゃなくて「セラピスト」のほうかも。
そういえば。
占星術ですと、太陽魚座の月水瓶座。
ASCは知的冒険者の射手座で
MCは社交の天秤座です。
だからね、
その理想や理論に感性を乗せて、
その探究心は、自分だけの中にばかり向かわずに
リアルな人との繋がりや調和に向けて使ってきなさいよ、
きっとそこがゴールだよ、
きっとそこがゴールだよ、
なんじゃないかとみましたよ。
私は星読みではないですが。
次回は、時々聞かれる、
「私が手相観になろうと思った訳」
でも書いてみようかなと思っております。