カニイさんのブログ

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暇な時でます、ご自由にみてください、気に入らないと思ったらみないでください、メンタルもやしです

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学生は勉強が本分だ
親に言われたことを思い出す

確かにそうだと思いつつも、他にも大切なことはあると思う
ただ、勉強をするだけでなく、社会を知ることも必要であり、その得たものをどのように使うのか
また、どのように伝えていくのか
それが今の社会に必要とされていると思う

ここ20年の間に、ゆとり教育が終わり、実力重視の点数を取るためだけの教育
社会に押し付け失敗し、座学ばかりに気を取られ、必要な能力を下げてしまった
だが、ここからの10年はこれまでの集大成のような教育
社会に押し付けず、社会とともに子供を育てる、結果だけの座学ではなくその過程を楽しみ自分のものとできる子どもを育てる

つまり、ここからの教育に必要なのは
「教」だけでなく「育」にも焦点を置いていく
「教」という座学だけでなく「育」という人との繋がり
それが、今の学校教育に求められているものだろうと考える

では、これに達するために何を教えるのか、どんなことをしてあげられるのか考える

国は主体的で対話的な深い学び(俗に言うアクティブラーニングを行うとしている

これを私なりに解釈してみた

主体的
自分の意思・判断によって行動する様(スーパー大辞林より)

つまり、学ぶということについて自分のやりたいことを持ち行動するといくこと
では、教員にできることはなんだろうか
それは、自分の意思・判断をするための材料、知識をつけさせてあげることではないだろうか
ただ、点を取らせるためだけでなく、自分の意思・判断を正しく行えるようにサポートしてあげることが教員としてやってあげることではないだろうか

対話的
二者間でやりとりを行い、相互に作用しながら事を進めていくさま(実用日本語表現辞典より)

つまり、それぞれの想い・考えを持ち話し合い相互に作用しながら進めていくことである
では、ここで教員にできることはなんだろうか
それは、生徒同士の対話が成立するように技法を教えることだろう
現に大人同士でさえ対話ではなく罵り合いになる日本である
生徒だけで話をして対話になるわけがない
学校は失敗をするところだと言うように学校では多くの対話をしぶつかり、ある意味のいい妥協点を探るそんな訓練をするところではないだろうか
これまでの日本の社会はぶつかることを避け、表面の話し合いしかしてこなかった
これからはもっと踏み込み対話を行うべきだろう
それを行うために学校でさまざまな対話を行うべきだろう

深い学び

意味はそのままだろう
深く物事を学ぶこと

では、深く学ぶにはどうすれば良いのか
私は深く学ぶということは、それらを極め、伝達できることであると思う
これを基準とした時、必要なことは
自ら疑問を持ち、それについて興味があることだろう
ことわざでいう「好きこそ物の上手なれ」ではないだろうか
動物というものは好奇心があり、それを満たすことを望むと私は考える
特にそれは子供の頃によくみられ、それがさらに深くなり学ぼうとするだろう
つまり、教育をするにあたって必要な事というのは、子供たちに多くのことを知る機会を作ってあげることではないだろうか

では、その時教員に必要なものは何か
それは、子供たちに教えられるだけの教養であり、社会であり、夢であると考える
だが、それは一人の力だけで全てを賄えるほど優れてはいない
そうなった時、多くの人脈がものをいうのではないだろうか
自分の知識としては基本的なことかもしれないが、さらにそこから繋げられる人脈があればより多くのことを教えられるだろう
(これは最初に述べたように、社会とともに子供を育てるにつながるものがあるだろう)

そのために、今、やるべきことは何か
それは、社会に少しでも触れ、自分への深い学びをすることだろう


主体的で対話的な深い学びを考えてみた結果、
私が考える求められる教育、教員というものは
座学だけでなく、社会に目を向け、多くを知り、子供たちに対して、夢や目標、希望を持たせてあげられる環境を作ってあげること
だと思う
ただ、これを叶えるためには、社会や保護者の方の力添えが必要だろう
一教員に全てを任せるのではなく、社会、地域、全てで子供たちを育てて行く
そんな環境を作ってあげたいと思う

皆さんは、どうお考えでしょうか?
ぜひご意見お聞かせください