今朝久々にtwitterを開いて
たくさんの言葉を浴びているうちに

最初はたのしくて
新鮮だったけれど



徐々に










あれ?




となった自分がいた。









以前までにはない感情であった。




もうあの扉は
今日から一年間くらいは
開かなくなりそう。













書店に行く度に見かけていた


"「繊細さん」の本" 。





書店で目にする度に


(なんだと... ?おれはぜってぇ手にとらねぇからなぁ〜〜〜......  🔥)



と、


4歳児のような
訳の分からない対抗心を
めらめらと感じていたのだけれど








諦めて読んでみると、

すこし救われた。




繊細さ= 改善しなくてはならない



と、たぶん28年間ずっとどこかで
無意識に思ってきてしまっていたけれど




そうした概念は
全くの不必要であったということ。



おかげで今日は
他人といても、自分という
人格のまま仕事ができた。
それはとても心地よいものだった。
このままでよかったんだなあ、、



いまこの本と出会えたことに感謝。













話は少しかわって


仕事の帰り
運転中のこと




昨年あたりからの一年半ほどのことを
振り返ろうとしてみたのだけれど



全くわからなかった。



何してたのか
自分でもよく分からない。


カメラロールを見返せば
なんとなく、

ああそっか


ああこんなこともあったか


となる。


なんというかそれは


"空白"

のような時間で。










何年か前に


あなたは台風の目のようになったほうがいい


と知人にそう言われたことがあった。





けれど
そのように努めて行く連れ


私も周囲も不幸になっていった。




それは深海に向かって
必死で手を伸ばし続けるような

そんな状態だったのかもしれなくて。














白には黒よりもどこか深い闇がある







うろ覚えだが

本の中で、ある人はたしかこう言っていた。






その言葉が
そのとき ふと頭に浮かんできた。

今思えば、
こういうことだったのかもしれないなあ。











私はどこかで

"また自分は喫茶をしなくてはいけない"



みたいな

煽りのような
ものを感じているのかもしれなくて






ほんとうに自分がそれをやりたいのか


それしかこの先食べて行く方法がないから
それを行うのか






両者とも真っ当な動機であると思う。

けれど、


前者として考えたとたんに




それは霞んで行くような気がしてしまう。
















珍しく父が
宇宙の話をしてくれた。


太陽、月、星星のこと。



その話を聞いて
とても高揚している自分に
出会えたことが

嬉しくて
嬉しくて



私はやはり部屋に篭った。


今も実は


その高揚が収まっていない。


もっと知りたい。




ああ、星...






今宵は、あと数十分したら
皆既月食が始まる。





散歩でも行きたいなあ...








あっそういえば今日、



職場(ケーキ屋)の冷蔵庫を開けたら
トマトと納豆が降ってきたのと



計量中、
誤ってレモン汁を
瓶から外へぶちまけてしまった。