先程
横尾忠則さんのある記事をみつけたので
twitterへ記事を添付させていただいた
(え... ついった、やってたの... )
もちろん ここにも...
「子どものあそびは、目的も手段もなく
今やっていること自体が目的になる」
なんだか
昨日の自分とすこし
照らし合わせながら考えさせられる内容だった。
思考に気合いを入れる為に
久々に前髪を上げ
机に向かって俯く。
そんな自分のことを
ああ、いま何よりも自分だなあ
と思った。
ぐるぐる
ぐるぐる
考えることが
昔からだいすきだ。
ある人から見たらそれは
短所になるかもしれないけれど
ある人から見れば
私から見れば
それは長所であり
わたしである。
幼稚園の頃は
ずっと絵ばかり描いていて
描くこと、がだいすきだった。
母がいつもお弁当に入れてくれた
小さなウィンナーが
なんだか自分には人の小指に見え
ひとり気持ち悪くなっていた
ということは内緒で...
小学生の頃も
そして中学、高校
記憶を辿り
思い起こしてみると
一貫性をもって浮き彫られてくるのは
思考と空想の中に居た
ということかもしれない。
そして
毎日
毎日
同じ遊びを繰り返しては
それに夢中になり
日々できることが増えて行く
ことが
友達と関わる遊びをしているときよりも
"楽しい"
と、感じていた。
それはやはり、今もかわらないなぁ。
この先も、どうしたって
かわらないのだろうなぁ。
でも、人と話すのはすきである。
人と関わることで、自分も豊かになれる。
珈琲を淹れていた頃を
思い返すと
そんなふうに、今は思うことができる。
できるようになった
やっと。
茨木のり子さんの作品に
「汲む」
という一篇があるが
久しぶりに昨日読み返してみると
心に響くものを感じた。
以前よりも
ずっと。
