その後、ここから清水港の港湾道路を一気に北上し、1時間ほど歩いて行くと、輸入食料品をはじめ、地場産品などの展示販売が行われていた「清水港興津フェア」の会場となる「興津国際流通センター」に辿り着いたさっそく会場内を散策してみると、屋台グルメや移動販売車による飲食販売も行われており、食べ歩きを敢行することができたので、僕は生ビールを2杯飲みながら、ここでお昼ご飯を思う存分に楽しんでいったそして、お腹がいっぱいになったところで、すぐ近くにある「旧東海道興津宿」を散策し、2つの史跡を見学していくことにした
①「坐漁荘」
明治の元老であった西園寺公望公が、大正8(1919)年に老後の静養の家として、風光明媚な清見潟を臨む興津清見寺町に建てられた別荘で、その建物内には、西園寺公が好んだ竹の欄間の精密な造作をはじめ、優れた職人の技が凝縮されており、大変素晴らしい建築物となっていたまた、ここの案内人の話によると、この「坐漁荘」は、時代の変貌とともに昭和46(1971)年に愛知県犬山市の明治村に移築され、現在は国の登録文化財として公開されているが、かつてあったこの地にも「坐漁荘」を復元するにあたり、
①「坐漁荘」
明治の元老であった西園寺公望公が、大正8(1919)年に老後の静養の家として、風光明媚な清見潟を臨む興津清見寺町に建てられた別荘で、その建物内には、西園寺公が好んだ竹の欄間の精密な造作をはじめ、優れた職人の技が凝縮されており、大変素晴らしい建築物となっていたまた、ここの案内人の話によると、この「坐漁荘」は、時代の変貌とともに昭和46(1971)年に愛知県犬山市の明治村に移築され、現在は国の登録文化財として公開されているが、かつてあったこの地にも「坐漁荘」を復元するにあたり、