東海道線富士川駅を午前8時20分頃にスタートした僕は、雄大な富士山が見える「富士川河川敷憩いの広場」から富士川の土手道を南下し、静岡市立蒲原中学校の前にある「浄瑠璃姫のお墓」へと向かったここ「浄瑠璃姫のお墓」は、塚の印として6本の松が植えられており、石碑にはこのような言い伝えが残されていた矢作宿にいた浄瑠璃姫は、義経のことを好きになってしまい、陸奥の国へ下る義経の後を追いかけ、ここ蒲原の吹き上げの浜へやっとの思いで辿り着いた際に、疲れ果てて死んでしまい、里人が姫の死を悲しみながら、亡骸(なきがら)を丁寧に埋葬してくれたとは言っても、僕には全く関係のない話なので、「うんうん」とうなずいた程度で、次の目的地となる「旧東海道蒲原宿」を目指した「旧東海道蒲原宿」に到着した僕は、街道沿いにある4つの歴史的建造物を見学していくことにした
①「渡邉家」
静岡市の文化財に指定されている「渡邉家」は、問屋職を代々勤めてきた旧家で、材木を商っていたことから「木屋」という屋号を掲げており、土蔵は1838年に建てられたもので、四隅の柱が上に行くにつれて少しずつ狭まる「四方具」という耐震性に優れた技法が用いられていた
①「渡邉家」
静岡市の文化財に指定されている「渡邉家」は、問屋職を代々勤めてきた旧家で、材木を商っていたことから「木屋」という屋号を掲げており、土蔵は1838年に建てられたもので、四隅の柱が上に行くにつれて少しずつ狭まる「四方具」という耐震性に優れた技法が用いられていた