19代朝鮮王粛宗(スクチョン)を めぐる女の戦い 禧嬪張氏と淑嬪 崔(ヒビンとトンイ) その1
粛宗(スクチョン、しゅくそう、順治18年8月15日(1661年9月8日) -
康熙59年6月8日(1720年7月13日))は、李氏朝鮮の第19代国王
1661年8月15日(旧暦)に生まれ、
1667年に王世子に冊封、6歳
1674年8月に14歳で朝鮮国王に即位する
1680年、南人の専横に歯止めをかけたい粛宗が南人を大量に追放した
仁顕王后を中心にする西人と禧嬪張氏を中心にする南人が対立した19歳
1689年仁顕王后が廃位される己巳換局が起きた。 粛宗28歳 嬪張30歳
1690年10月22日に王妃嬪張氏は王妃となる 28歳粛宗
1694年甲戌換局で反転された 南人追放 33歳
1694年4月12日、王妃張氏を嬪に降格、粛宗は南人を朝廷より追放して
西人を政権につけ、かくして仁顕王后は王妃に復位した。
1701年10月10日、禧嬪張氏は賜薬により処刑された。42歳 賜死
1700年王后が亡くなる 粛宗39歳はヒビンより2歳下
1691年)も死六臣の名誉回復(や王位を奪われて亡くなった
(1698年魯山君を復位させて端宗という諡号を贈った 30歳
1720年)昭顕世子嬪姜氏(粛宗の祖父孝宗の兄・昭顕世子の妃)を愍懐嬪に復位させた
1720年、60歳で薨去。在位期間は46年