ドラマ  近肖古王クンチョゴワンと 広開土大王1


 


 


 


 


高句麗 19代 広開土大王 391-412


 


 


(故国原王331-371 /
小獣林王371-384 /
故国壌王384-391 /
好太王391-413 /
長寿王413-491 /


 


 百済13代  近肖古王 346-375 在位


 


近仇首王(きんきゅうしゅおう、生年不詳 - 384
年)は


 


百済の第14
代の王(在位:375
  384
年))


 


(比流王304-344 /
契王344-346 /
近肖古王346-375 /


 


 


 


後燕 初代 慕容 垂 384-396


 


慕容 宝(ぼよう ほう、は、五胡十六国時代の後燕の第2
代皇帝。396-398


 


 


この時代は


 


高句麗 前燕 後燕 百済と 闘い また臣下となり朝具したり 同盟したり


 


国の興亡をかけて入り乱れる時代。


 


百済は近仇首王(クンチョコワン)の時代 に全盛期を迎え


 


高句麗の故国原王331-371
と戦っていた。


この時代は中国は五胡十六国時代で


 


中國は小国が乱立、前燕の初代王慕容 垂 の親 慕容 皝の時代 在位期間


 


337 - 348
年で


 


 


 


高句麗の全盛時代 と百済の全盛時代が


 


相前後していることの不可思議さ。


 


 


 


 


ドラマ クンチョンワン から 


 


ドラマ 広開土大王につながる時代。


 


 


 


 


高句麗と百済は長期的な政権であったが


 


後燕は前燕から、後燕・西燕・南燕の4
つの王朝を建国しつつわずか数十年で


 


 その姻族兄弟叔父甥等々の身内の争いで歴史から消えていった。


 


 


 


 


 


 


 


昨日 ものがたり 史記 (
中公文庫)
文庫 

陳舜臣を


 


読んだが 中國王朝変遷の歴史は まさに内部抗争の連続である。


 


 


 


 


権力と野望のために な何万人も平気で殺戮する


 


これが王朝の歴史、


 


高句麗も百済もやがて唐新羅の連合軍のもとに歴史から消えていく。


 


 


 


 


色々な人の生き様 信念 思想等々の上に


 


人類の歴史から 闘い戦争は殺戮は決して消えていかない。  
陳陳舜臣