先日、弟の1周忌が終わりました。


1周忌が終わり、命日も過ぎた今日、業者さんに来てもらって、最後の片付けをしました。

今日はもう一人の弟もいたし、業者さんが帰った後は、お昼を食べて、工務店さんに、2階店舗トイレ窓の修繕の見積もりで来てもらったから、余韻にひたる暇なかったけど、一人でいたら、寂しくて苦しくなるんだろうな…


今日午前中は、涼しかったはずなのに、さすがに3階4階から、エレベーターもなく、階段で荷物持って何十往復すると、汗びっしょりだよね。

自分達じゃ、大きな家具や電気製品は運べないし、住んでないからゴミも決まった時間にだすこと出来ないから、本当に助かりました。
でも、処分しちゃいけないものはなかったよね…と不安になったりする。

また、早かれ遅かれ片付けなきゃいけないし、空き家で散乱したままの状態がイヤだし、暑くなる前にと去年秋から片付け始めたけど、片付けが進むにつれ、だんだん寂しくなり、早かったのかな…とも思ったりもする。
なんだろう…私の気持ちって、面倒くさい。

家族3人で、義母にお花を渡しに旦那の実家へ、その後、お店をやっている私の母にエプロンを渡しに行くのが、「母の日」の恒例行事だった。


12年前に義母が亡くなっても、義父が健在のうちは変わらなかった。

だけど、義父も亡くなり、娘も外出出来なくなり、コロナ禍になり、母と仲たがいをし距離を置くようになって、その恒例も行事も無くなった。


コロナ禍にも慣れてきた、2021年の「母の日」、旦那にプレゼントを玄関先に置いてきてもらうようにお願いした。

少しでも歩み寄りたいけど、私が行っても突き返されると思ったから。玄関先に置いてくるはずが、タイミング悪く母に出くわしてしまい、旦那でも突き返された。理由はもうお店やっていないから、使わないとのことだった。むかつきと悲しさでいっばいだった。

まさか、それが最後の母の日なるとは思わなかった。

その時のエプロンは、未開封のまま棺に入れることにした。


今、私には「母の日」に直接渡す相手もいないし、もらう相手もいない。



娘が、おうち生活になって6年以上になる。

一緒に出かけることも外食することも諦めた。

成人式の晴れ着姿を見ることも諦めた。


(通信大学卒業出来たら、袴と晴れ着の両方写真撮ろうなんてほんの数ヶ月前には言ってたのにね)


それでも、電車内で母親と娘さんが仲睦まじい姿が眩しく羨ましく思う。

無くなったと思ったけど無くなってない、無くなって欲しい気持ち。