ブログ画像一覧を見る
このブログをフォローする
聖者とつながればいいことがあるとか、
そんな目先の利益はありません。
目先の利益ほど醜いものはないのです。
ちょっとお金を得たとしても、
それはパッと使って強います。
人から酷い扱いを受けたことは、
教訓として残ります。
これを見ても目先のことで判断をしてはいけないのです。
ヒマラヤ正邪はすべての人はキリストであることを
伝えたかった。
それを気づくことができない現代人に悲しみを感じているのだ。
ヒマラヤ正邪の意識になれば
山々を歩いているのも
普通の人が修行と感じるだろうことも喜びなのだろう。
どうしたら聖者のようになれるかというのは法則がないといいます。
それは法則を私たちは忘れているだけなのかもしれません。
ピラミッドが造られた時代の人間にはその能力があったのですから。
それは今常識と言われている考えを
超越する必要があるのです。