僕の音楽に価値はないと執拗なまでに言っておきながら、それでもこうやってSNSで人目に晒すのは何故か考えてみた。
まず、僕の音楽に価値がないという根拠について。
多くのアーティストは時間をかけて練って練って、練習して技術を磨いて作品を生み出していると思う。なんなら、生活を犠牲にするくらい真剣に作っている。反面、僕の作曲はどういう物かと言えば、取り繕わず言えば「片手間」で作った曲である。
週休2日で、今の仕事はほとんど定時に上がれる。
平日は仕事が終わったら夕飯を作って、洗濯物を干して、ゲームをして10時には寝る。それで朝は7時くらいに起きて、ちょっとゲームして仕事に行く。
休日はバンド練習がなければ個人でスタジオに2時間くらい入ったり、家でDTMしたりする。と見せかけて、それ以外はほとんどゲームをしている。
集中力がなさすぎるのと、やる気になるのが遅すぎるので、休日でも音楽に割く時間はせいぜい2〜3時間。ミュージシャンなら平日でも寝る間も惜しんで練習をしたりライブしているイメージがあるが、僕には無理だ。仕事の疲労と、年齢のせいか体が動かなくて、全然ギターに触れなくなった。
そんな生活の中で、こんなんじゃダメだというフラストレーションがたまり、吐き出すように、免罪符のように曲を作る。仕事中に浮かんだメロディに歌詞をあてはめて、コードをのせる。(歌詞が乗らなくてボツになる事が多い。)
ズボラで探究心がないので自分の知っているありきたりなコードしか使えない。すると、どっかで聞いた事のある曲になってしまう。(ボツにする事が多い。)
そんな作曲方法で、最近は2か月に一曲くらいは作れているかな。そんで、煮詰まっていないそれをすぐに低音質でSNSに上げたりする。
ここで、何故そんな片手間で作った駄曲を、何の恥じらいもなくSNSに投稿するのかを考えてみよう。
まずは、「いいね」などの承認欲求を満たす為。
これはかなり大きいだろう。だが、現実は厳しい物で、いいね0の時も多い。承認欲求の最終形態って、「売れるorバズる」なんだろうけど、気配すらない。多分、僕はそういう商業音楽とかバズりとかを見下している隠れた意識があるので、別にいいねの数が少ないからと言って、SNSをやめる事はないだろう。
そもそも、価値がないと思っているのに、いいねが欲しいなんて、矛盾もいいとこだ。あわよくば、そんな矛盾に対する葛藤すら芸術に成り得ると信じているのだろうか。売れる売れないはどうでもいいと言いつつ、やっぱり誰かに聞いてもらいたいという下心は消せはしないのだろうか。
綺麗事なしで言えば、やっぱり売れないとリリースをする頻度もライブをする頻度も落とさざるを得ない。
売れなくても、働けば音楽を続ける事は出来るが、働いたお金を全て音楽に使えるわけもなく、ましてやこんな不況で完全個人活動の音楽家には、1年で出来る事なんて限られている。気がついたら、ほとんど何も出来ないまま50歳なんてのもあり得る。
でも、だからと言って今の生活を変えようとする気力もなければ、売れる為の思考錯誤をする気力もない。
ただ、ひたすら自堕落で平凡な生活を綴って行くだけの日々。
夢見る少年少女よ。
これが、努力嫌いの凡人の末路だ。
そして、それも別に悪いもんじゃないとも伝えたい。そもそも、良いか悪いかを決めるのは自分だから。僕はこのままで良いと今は思っている。多分、そう思わないと自分を保てないんだろうな。どこまでも、ないものねだりだね。
頑張る人達を見るのが辛い。オリンピックとか甲子園とか、地獄でしかない。勇気じゃなくて、劣等感しかもらえない。満員のライブに行くのが辛い。眩しくて見ていられないライブが増えた。全部、僕の老いた心のせいだ。若いバンドマンよ。足ひっぱるような事ばかり言ってごめん。
こんな誰かに嫌われるような事ばかり言う為に、SNSを続けているなら、マジでやめた方がいいよな。
でも懲りずに、また曲を作ってしまったのは、誰かを傷つけたい訳でも、何かを伝えたい訳でもなくて。ただ、自分のモヤモヤを吐き出す為だけにやってるんだと思う。ていうかツイートって、もともとそういうもんだよね。自分の為に呟くもんだ。
まーた、某バンドに影響受けまくりのメロディと思考だよなって、笑ってくれて別にいいよ。
よく分からず公式マークつけて、ネタにされて矛盾を指摘されて笑われても別にいいよ。
勘違いしたまま、痛々しいまま、恥をさらしながら人は世界とネットと人と繋がっていくんだ。
誰からも笑われない、嫌われないなんて無理。
だから、せめて批判される前に練習させてくれ。自虐という名の、予行演習しておかないと、多分立ち直れないから。
そんな練習してるくらいなら、普通に練習しろよって批判にも対応出来る練習をしておこう。
生きている間しか出来ない事だから。それが、僕が曲を作ってSNSに投稿する理由かな。それで、僕の人生が最終的にどうなるかは僕はまだ知らない。
それを、誰かに見届けて欲しいのかもしれない。